1973.10.20 the shinchoho
昔アメリカ沈没船を浮上させた
徳山の村井さん
片桐調査官
170年前の調査行う
日刊新潮報1973.10.20刊行 第5245号 発行所 新潮報社
既報ーいまから175年前、オランダ船(米国籍船6000石)が長崎港外で沈没した、翌年の2月、その船体を周防国櫛ケ浜村(現徳山市大字櫛ケ浜)の廻船業者だった村井喜右衛門氏(1752〜1804)が工夫と才覚を凝らして、34日を費やして引揚に成功、再びこの船を日本から無事船出させたという。
このことは鎖国中の日本国内だけでなく遠く欧米諸国にも伝わり、無名の一日本人村井喜右衛門氏の事蹟が、海外でも話題になっていた事がヅーフ著
「日本回想録」
やホークス編の
「米国艦隊極東遠征記」
にも掲っている。
また昭和34年徳山市立図書館から発刊されている
「蛮喜和合楽」
にも記述されていることを知った文部省調査官片桐調査官は去る12日来徳、櫛ケ浜の村井家を訪れ、伝中の人ー村井喜右衛門氏に関する多くの資料に基いて、実地調査に当った。片桐一男調査官はそのときの所感を「新・旧国際協力の好例=村井喜右衛門の事跡を追って」と題する一文にして小社に寄せられた。
帰国できたオランダ人感激
寛政10年(1798)10月、オランダ東インド会社傭船のアメリカ船エリザ号が、長崎港から出帆の際、難風にあい座礁、木鉢浦へ引き寄せられたが、ついに沈没した。輸出銅など満載の船を失ったオランダ人は帰国かなわず悲嘆にくれ、長崎奉行は沈没船を浮上せしめるべき者を求めたが、その人なく、いたずらに日を送った。
その折、周防国都濃郡櫛ケ浜村(現徳山市櫛ヶ浜)から長崎の香焼島に季節商におもむいていた村井喜右衛門なる者が、その難事業を自費で申し出、独自の浮上仕掛けをもって苦難のすえ無事浮上せしめ、修復を加えることができた。
帰国が可能となったオランダ人はこの一日本人の工夫の妙と勇気による親切に感激すること一方ならず、時の幕府もこの義挙を深く認めて、銀30枚をもってこれを賞した。藩主もまた、藩名を高らしめたこの慶事を賞し、彼をして名字帯刀を許し、一代武士にとりたてた。
内外の学界にも紹介したい
鎖国時代のこの国際親善の挙が、近時、米国の研究者
ハウチンス博士
の注目するところとなり、調査・協力の依頼をうけた。そこでこのほど、訪徳のうえ遺存資料の調査に当たった結果、思いのほか良好にして正確なる史料が村井栄治氏村井辰雄氏の両家に無事伝存されていることを確認することができた。
今後これをハウチンス博士へ報ずるとともに、米蘭両国の関係史料の調査をあわせ、一日本人の興味ある事跡を解明するだけでなく、鎖国下における国際関係解明の具体例としても内・外の学界に紹介する必要を認めている次第である。
なお村井家には帰国のオランダ人から村井喜右衛門氏に贈られたオランダ製の酒入り
フラスコ
が保存されている。
(1973.10.12文部省調査官)
1974.2.4毎日新聞
村井喜右衛門