ヅ−フ肖像
ヘンドリック・ヅ−フ
肖像
ヅーフ略歴

1777.12.2アムステルダム市に生まれる。
1798ジャワに到りオランダ東インド会社のオンデルコープマン(下級手代)となる。22歳。
1799.7.18長崎到着。オランダ商舘書記。11.24蘭館紊乱を報告するためバタビヤへ帰る。
1800.7.16新甲比丹ワルデナールと共に長崎に再来する。
1801.6パックホイスメーステル(荷倉役)に昇進する。
1803.5(享和3年)ワルデナ−ルの後任として甲比丹(オッペルホ−フト)に任命される。27歳。
1804.10.8露艦ナデシダ号渡来。使節レザノフの世話をする。
1808.10フェートン号事件で活躍する。
1811ジャワ英人に奪われる。
1812ヅーフ麦酒を醸造す。
1813.7英国ジャワ総督ラッフルスの出島オランダ商館奪取の野望を打ち砕く。
1814ジャワ蘭国へ復帰す。
1817.12.10ようやく長崎を発しバタビヤに還る。
1819バタビヤより本国に向かうがインド洋で難破し米国船に救助さる。
1835.10.19アムステルダムにて没す。


ヅ−フ日本回想録

出島図
出島の図 ドイツマンハイム市博物館蔵

1799年7月ヅ−フ渡来する
この時貿易状態は実に悲観すべき状況にあった。さらに甲比丹ハイスベルト・ヘンメ−氏は前年(1798.6.8寛政10年4月24日)江戸への旅行の帰途掛川で死亡して、天然寺に葬られた
また、(1798.4.21寛政10年3月6日)出島で大火災が起きて、花園の中の甲比丹住宅及び2、3の古い倉庫の外、総ての建物は焼失した。
出島火災図
蛮舘回禄之図。黒く塗られたところが焼失した。

そのうえ1798年日本に送られたエリザ号は、帰途(1798.11.24寛政10年10月17日)暗礁に乗り上げてしまった。

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