2001.09.04第1回櫛ケ浜の日静かに終了しました



 地名・櫛ケ浜の「くし」には櫛、串、奇し、の由来がある。平成華山組の浜田心仁さんの提案で、新しく9.4を「くし」と読んで9月4日を櫛ケ浜の日とし、点灯を行った。これから総てが始まるといいですね。

 由来

 1.「ふるさと櫛浜」から。
 櫛ケ浜は寛永2年(1625)の検地帳(坪付帳)に「串浜」と記してある。
元文5年(1740)の地下上申では「櫛浜と申す由来は、往古、厳島明神徳山御領黒神山と申す山、御住所に成られべしと思し召し給うの由候処、犬の鳴声聞え地下近きと思し召し、それより厳島え御越し遊ばされ候時分、櫛浜へ御揚がり成られ候時、浜辺え櫛を御落とし成られ候故、それより櫛浜と申しならわしたる由地下人申し伝え候事」と説明してある。
また天保12年(1841)の風土注進案には「当浦を櫛ケ浜と申すことは上古、市杵島明神が黒かみ山よりこの浦に移り、玉の櫛を落とされたことから名付けたと言い伝えている。
また、ある書に曰く、推古帝ノ朝、内舎人佐伯鞍職恩賀嶋にあり、紅帆船来たり、船中に瓶あり、瓶中鉾立て、赤幣を着た三女神あり、告げて曰く、我厳嶋大神と名す、百王守護に来現、宝殿を恩賀嶋に造れと云々、ここに時推古帝22年12月叡聞に達し(天子の耳に入る)社をこの嶋に営む、市杵嶋の神号を用いこれを呼ぶと云ふ、格別嶋々を見巡り玉ふと云ふことを聞かず、そのうえまた櫛ヶ浜は嶋にてもなし、案ずるに黒髪山に対して呼なるべし、牛嶋あれば馬嶋あり、富田あれば富海あり、徳山あれば福川あるがごときならんか 」とある。

 2.櫛浜の広報コミュニティ櫛浜へ投稿された「櫛ケ浜史老」竹嶋美雅さんの説。
 櫛ケ浜は霊(くし)ノ浜
 久米天神社の由来書によれば「延喜元年(901)菅公太宰府にご左遷のみぎり、風波のためにか、当所の海辺にお船かゝり、中ノ州より上らせ給い、その地、地景いと稀なるを賞して霊(くし)ノ浜と名づけ給い、云々」とある。
 霊の字には、くしび(奇)なものの意味があり、霊山・くしくすぐれたやま。奇石・珍しい形の石。などとつかわれる。
 櫛ケ浜の「くし」は霊と奇の「くし」に通じ、「くしケはま」は、すぐれて美しい浜と言うことになる。
 約1000年前は、大嶋山(太華山)に向かって延びていた櫛の形をした美しい砂州は未だ山麓まで達せず、中洲の状態であったであろう。栗屋の毘沙門様の伝説に「当時栗屋の沖一帯は海で、沖を漕ぎ行く船は、毘沙門様の前を通る時は、よくよく拝んで通った」とあることからも分かる。