木村克久さん画 ありし日のエリザ号 (5)人智を尽くし、神助を祈る 喜右衛門が案出したオランダ船引き上げの方法は、残念ながら詳細にその内容を知るべき材料がない。ただ前にも述べた村井家の伝書 「蛮喜和合楽」 の中に、引き上げ仕掛けの図と、これに用いた用具の大略がしるしてある。この書は山口県立教育博物館に陳列していた時、現任海軍大臣村上大将(呉鎮守府司令長官 村上格一 海軍大将・大正13年清浦内閣の海軍大臣)が大正9年2月22日に来館して、大いに興味をもってこの書を閲読し、図面をも一々精査して、次のごとく語った。 「寛政の昔に、このような智巧を極めた方法をもって、外国船を引き上げた事実があることは、初めてただ今知ったのであるが、潮力と風力とを巧妙に利用して、 海底から重量の物を引き上げることは、今日沈没軍艦などの引き上げも、喜右衛門が案出した方法と用具に精粗の別こそあれ、原理に至っては全く同一で、 ことに白帆に風を含ませ、沈船を引き付ける意匠は、かえって今日の方法よりも、美術的であって面白い云々。」 「蛮喜和合楽」 にしるしてあるところによれば、喜右衛門は西漁丸に、弟の亀次郎は西吉丸に乗り込み、ほかに大小網船76艘を使用し、日夜工程を進めている。 「長崎の湾と町」1825年/ハーグ国立中央文書館蔵 最初は多少疑問を抱いて見ていた長崎奉行も、実際に引き上げの工事の準備が極めて巧妙にしてかつ大仕掛けであるのを認めて、 喜右衛門を鼓舞奨励するために、昼は日の丸の旗印を、夜は日の丸の提燈を用いることを特に許した。 長崎奉行から喜右衛門へ御用旗差免状 未正月14日 御手頭 此の度沖阿蘭陀沈船浮方の儀、防州船頭喜右衛門え相対をもって相頼みた き旨、役人阿蘭陀人申し出で候に付き、願いの通り聞き届け候、尤も浮ケ 方取り掛り中、御用小指相用い候儀差し免じ候事 未正月 右の通り仰せ渡され候に付、申し渡し候 未正月15日 |