沈没軍艦引き揚げ

旅順口
明治38年2月13日博文館発行 日露戦争実記第54編
開城後の旅順口(其1)
敵艦撃沈の驍将 陸軍少将 豊島陽蔵君
旅順要塞司令官 陸軍少将 伊知地幸介君
沈没船艦処分の名将 海軍少将 新井有貫君
旅順港内に撃沈せられたる敵の戦闘艦
203高地攻陥後、旅順港内の敵艦は、皆な我が重砲の為に撃沈せられ、其の惨状本図の如し
之を撃沈せる人、また之を引揚ぐる人、ともに我が陸海軍の多士済々たるを見るべし。

旅順口
明治38年2月13日博文館発行 日露戦争実記第54編
開城後の旅順口(其6)
港内に撃沈の敵艦ポルタワ、ポべ−ダ、ペレスウエットの各戦闘艦
203高地占領後、旅順港の敵艦は忽ち皆な我が重砲の為に砲撃せられて、山の如き
戦艦は、何れも斯かる憫むべき最期を遂げぬ。前面の高所は黄金山の砲台なり。

レトウイザン
明治38年3月3日発行 博文館 日露戦争実記第57編口絵
旅順港内沈没敵艦
水雷駆逐艦 ポロバ号
パルラダ レトウイザン
曾て東洋の海上を横行したる敵の大平洋艦隊、今は尽く
旅順港の内外に葬り去らる。末路の窮状寧ろ憫むべし。

バーヤン号
明治38年7月3日発行 博文館 日露戦争実記第79編口絵

ワリヤーグ
明治38年8月23日発行 博文館 日露戦争実記第89編口絵
仁川港頭のワリヤーグ
海軍少将 新井有貫君
撃沈当時のワリヤーグ
仁川ワリヤーグ引上工事
敵艦ワリヤーグは開戦の劈頭昨年2月8日、仁川港頭に撃沈せられたるもの、爾来
1年有半、本年8月8日を以て浮上れり、之が工事を督したるは新井少将とす。

ワリヤーグ
明治38年9月23日発行 博文館 日露戦争実記第94編口絵
ワリヤーグ仁川港頭に浮揚りたる光景(仁川 井上写真館撮影寄贈)
日露開戦の劈頭、仁川港頭に撃沈せられたる敵の巡洋艦ワリヤーグは、
爾来其の引揚工事に1年有半を費やし、終に本年8月8日図の如く、無事
に浮上りぬ。其の工事の衝に当りたる新井海軍少将の功や大なり。

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