またエリザ号の船腹中程には、オランダ人から借用した太綱を多数の青竹を使用してうまく滑らしながら三重に巡らせ、その太綱に結び付けた前の大綱が2筋に分かれ、一筋は滑車を経て中心の本柱に集まり、一筋は緊しく75艘の網船に結び付けられている。 これは75艘の網船が、満潮の力によって高く浮き上がる時には、沈没船の周囲にかけられた大綱が一斉に緊張して、沈没船を他の75艘の網船と、同一の高さの水面に引き上げねば置かぬようになってくる。一寸でも一尺でも、その浮き上がる程度に応じて、本柱の方の大綱は緩くなって来るから、そのたび毎に引き締めて、再び沈下することのないように仕組んだのである。 沈没船が既に潮力によって浮き上がれば、更に風力を借って適当の岸へ曵き行くために、網船先導船などは各々白帆を用意して待っている。以上の諸準備は28日夕方に全く整頓し、その夜は一同船内に泊まり、喜右衛門が贈った酒肴に鋭気を養った。 本瓦の当時の母屋 浜田心仁さん撮影 |