蛮喜和合楽 解説

長崎絵図1796

解説

この蛮喜和合楽は、寛政十年(1798)十月、オランダ船(実は、オランダがチャーターした米国籍船という、6000石積)が長崎港外で沈没するに至った前後の事情から説き起こして、翌十一年二月、その船体を、周防国都濃郡櫛ケ浜村(現、徳山市大字櫛ケ浜)の回船業、村井喜右衛門(1752―1804)が、工夫と才覚を凝らし、前後三十四日を費やして引揚げに成功し、再び同船を日本から無事船出させるまでの出来事を、上中下三枚の絵を中心にした読物にまとめたものである。その中でも、喜右衛門が苦心工夫した引揚げの手段方法が(本文には殆どこのことにふれていないが)実によく絵解きされていることに注目されたい。
この沈船引揚げの評判は、鎖国中の日本国内だけではなく、遠く欧米諸国にも伝わり、無名の一日本人村井喜右衛門の事蹟が、海外でも相当の話題になっていたことが、ヅーフ著の日本回想録やホークス編の米国艦隊極東遠征記等で知られる。
この本を当館双書に入れるに当っては、本文は村井栄治家本により、三枚の口絵は村井醇郎家本によった。前者は、寛政十一年刊行当時の材料をもって、別の日本紙に貼付再編集されているために、その原型が厚手の紙質を使った木版刷のものであった以外は、大きさ、装幀、册数等については全く判らない。著者についても、奥書やその捺印から知られる商人の中川氏ということの外は、全く手がかりがない。後者は前者の写であるが、絵の部分は出来あがりの効果を考えて、これによった。また、変体かなを平かなに改め、句読点を増して読み易くした外は、原文の儘である。
なお、徳山市櫛ケ浜の喜右衛門ゆかりの両家には、この外蘭船引揚げに関する数々の文書・記録・図書類を所蔵されていることを附記して置く。
終わりに、快く復刻を許されました御両家に、厚くお礼を申し上げます。

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