戦後の懐かしい櫛ヶ浜海岸

故 小川晴暘氏の力作見つかる
竹嶋さん「市文化財として保存を」


小川晴暘氏が描いた「櫛ヶ浜の海岸」
日刊新周南1995.01.19
●徳山●
今は全面的に埋め立てられて、石油化学コンビナートの工場群になっている徳山市櫛ヶ浜の海岸を、昔のままに描いた日本画が保存されていることがわかり、この海岸で泳いだり、生活の場にしていた人たちから懐かしがられている。
新南陽市三笹町の月星海運徳山支店(阿部建支店長)の応接間に飾られている。描いたのは仏像を中心に古美術の写真作家として知られた奈良飛鳥園創始者故小川晴暘氏である。これを調査した徳山市櫛ヶ浜中町の郷土史家、竹嶋美雅さん(74)は「今は全くなくなった懐かしい景色。それも有名な方の描いた作品であるのも素晴らしい」と感嘆している。
この絵は月星海運の前身だった徳山運輸の専務を務め、のちに月星海運の会長になった岸松男氏が内航ジャーナルから出版した自伝「私の内航海運」の表紙に使われたもの。櫛ヶ浜の広報紙「コミュニティくしがはま」の編集委員の一人が自宅の蔵書から見つけた。


内航ジャーナル(株)から昭和53年に出版された「私の内航海運―岸松男自伝」

竹嶋さんが調べたところ絵の作者は、徳山鉄板の専務と徳山運輸の社長を兼ねていた故渡辺剛三氏が戦時中、日商岩井の前身である岩井産業の南方責任者としてジャワにいたとき、ボロブドゥ−ル遺跡の撮影に訪れて親しくなった小川氏。防府市や下松市の寺を訪れるたびに渡辺氏や岸氏と会い、櫛ヶ浜に泊まることも多かったという。

昭和30年頃の徳山運輸のマッチラベル

残された絵は長さ2メートルほどもある大きなもので、昭和27年、当時は山陽本線櫛ヶ浜駅の西側にあった徳山運輸ビルの二階から海を見て描いたもので、大島半島と黒髪島、大津島に囲まれた徳山湾の中に蛇島が浮かび、海岸から突き出した船着き場に機帆船が停泊して荷揚げをしている様子が細かく描かれている。



小川氏は渡辺氏が徳山ロータリークラブ設立の世話をしていたことから、徳山市内で仏像についての講演をしたこともあり、曹洞宗ボランティア会の事務局長としてカンボジアの教育支援に活躍している徳山市久米、原江寺の有馬実成住職は防府市の多々良学園3年生当時、寺を継ぐべきかどうかに悩んでいたときに学校で小川氏の講演を聞いて感動、仏門に入る決心をしたという。
2列目左から岸専務、福智町長、村井会長、渡辺社長


竹嶋さんは小川氏の三男で仏像写真家として活躍している小川光三さんと文通を交わしているが、小川さんも「この絵は父の晩年の代表作と思われるもの。ぜひ写真を撮りに訪れたい」と書いており、竹嶋さんは「小川晴暘先生は櫛ヶ浜にすぐれた絵と僧侶(有馬さん)を残したことになる。ぜひ市全体の財産である文化財として絵を残してもらえるよう働きかけたい」と話している。
徳山運輸本社社屋(昭和21年竣工)

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