飛鳥園小川晴暘
雲岡の石窟 小川晴暘著 昭和53年新潮社刊 小川晴暘像
大正7年、文展初入選、25歳。新進洋画家として注目された小川は、画家としての将来に希望を抱いていた。しかし、会津八一との運命的な出会いは小川を写真へと傾けていった……
日本最高の古美術写真専門店〈飛鳥園〉の創設者、小川晴暘の生涯を描きながら、撮り続けた仏像の神秘的な美しさを探る奈良美術再発見の書。
此の輝きをレンズで捉えたい!仏像の持つ神秘の美に惹かれ、清深な心と鋭い眼で奈良の古美術を現代に蘇らせた、情熱の写真家。小川晴暘の生涯。
昭和55年3月10日発行
島村利正 著
新潮社刊
小川晴暘 略歴
1894 兵庫県姫路市に生る。本名晴ニ。
1911 東京の写真家、丸木利陽に入門、やがて丸木写真館の明治天皇御真影係主任となる。師の利陽から陽の字をもらい、これを暘に改めて晴暘と名のる。
1918 文展洋画部に「雪どけの頃」が入選。絵と写真の特技を買われて朝日新聞社に入社。山内義雄らに誘われて大和古寺を巡礼、古美術への目を開く。大阪への転勤を機に奈良へ住み、仏像の撮影を始める。会津八一博士の指導をうける。
1921 朝日新聞社を辞し、飛鳥園を創業。
1924 季刊「仏教美術」を発刊。写真集「室生寺大観」を発刊、引き続いて古社寺の写真集を刊行する。
1929 東洋美術研究会を興し、「仏教美術」を「東洋美術」と改題、会津八一、天沼俊一、浜田青陵、内藤湖南博士らの協力を得る。この頃より数年、朝鮮の文化遺跡を撮影。
1939 3ヵ月余にわたって雲岡の石窟の撮影ならびに研究をおこなう。
1941 第2回の雲岡の石窟撮影に出発。モンゴル地方も訪ねる。
1943 アンコール・ワット、ボロブドゥル、バリ島などを撮影。
1960 3月18日、飛鳥園にて逝去、享年66歳。
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