ヅ−フ日本回想録4
日本回想録扉 |
1803年ヅ−フ甲比丹に昇進する
8月22日ゼ−ムス・デールが船長である米国船レベッカの入港によって、私がワルデナール氏に代わって甲比丹に任命されたことを知った。同時にマールテン・マック氏は荷倉役となり、簿記役アヘ・イヘスは書記となった。
W.R.スチュアート現れる
レベッカの到着後間もなく(8月23日)一艘の欧州船(ナガサキ号Nagasaki)が港外に来たとの報告を受け、次いで同船は米国旗を掲げて投錨したことを聞いた。ワルデナ−ル氏は長崎奉行の依頼で、番所長等の派遣委員と共に、船に乗ってこの船に赴いたところ、米国の船長ウィリアム・ロバート・スチュアートの渡来したのを見て、大いに驚いた。
彼は先に1797年及び1798年に、オランダ人に雇われて日本に来たのだが、海上にて船を失い、且つ他に疑わしき行動があったため、バタビヤに監禁されたが、これを脱出した者である。
長崎港図 |
スチュアートを審問する
このように異船が日本の海岸に出没することは、深く日本人の疑念を引き起こし、増々糾問の必要を感じさせた。スチュアートは委員の尋問に対して、彼はベンガル及び広東を経由してここに来た。また船中の貨物は総て米国品であって、彼一人の所有である旨を明言した。日本人が「米国の王は誰か」と尋ねると、彼は「大統領ジェファーソン」と答へ、「何のために日本に来たか」の問に対しては「自分及び我国人のために通商の自由を求めるためである」と答えた。これで検使等一行は陸に引上げたが、ワルデナ−ルは船荷の所有主はスチュアートではなく、「ドクトル」の号を持つ別人であると認定した。また彼はこの船も船荷も皆英国人に属するものならんと推察した。
退去を命ず
2日後ワルデナ−ルは私と共に、日本の委員等に従って大船に乗り込んで港外に向かい、日本の小舟を遣って船長を我らの船に招いた。彼が我らの船に入るとすぐに、彼はよくオランダ語を解するので、一通詞に頼んでオランダ語で、彼の請願は拒絶されたので、速やかに港外に出て、再び日本の海岸に近づくべからずと、申し渡させた。
レザノフ像 |
彼は飲み水を補給したいというので、それは許されたが、彼が別に所望した番椒(とうがらし)と油とは拒絶された。されど私は油が羅針室に必要であることを証明して、遂に水と同じく無償で彼に送られた。
スチュアートの船去る
なお2日滞在して、彼は終に出帆し、再び帰って来ることはなかった。
(おわり)
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