西洋の方に伝わった話に、帽子と煙管との事があるが、これは耳新しい説であるから「米国艦隊極東遠征記」の一節を下に紹介する。

 読者は喜右衛門が沈没船を引き上げた報酬として、2本の刀(それは高き
 階級の標識)を帯びることと、彼の紋章として1個のオランダ帽子と2個
 のオランダ煙管との形を使用することを許されたばかりであることを知れ
 ば、大いに興味を感じないではおられないであろう。我々は喜右衛門の事
 跡をしるしたいかなる書籍の内にも、彼が少しの金銭をも受け取ったとい
 うことを見い出さない。もしも事件が反対であって、オランダ人かまたは
 アメリカ人かが、日本人のために沈没船を引き上げたとしたならば、かよ
 うな高価な事業に対して、2本の刀や帽子と煙管との絵では、極めて不足
 なる報酬であることを、早速本国へ伝えたであろう。

この文中にある帽子と煙管とのことは、オランダ語で書かれたヘンドリック・ヅ−フの「日本回想録」にも、ほぼ同様なことが載せてある。

日本回顧録原文 帆船柄コップ
ヅ−フ著「日本回想録」原文抜写     きえもんコレクション「ロックカップ」


蛮喜和合楽表紙up
写本「蛮喜和合楽」表紙
「蛮喜和合楽」には、本文に何等のことも言及していないが、その表紙の一部に、オランダの帽子と煙管が描いてある。
これは喜右衛門の淡白なる好奇心から、オランダの帽子と煙管とをもらって、引き上げの記念としてその家に伝え、子孫もこれを記念として、「蛮喜和合楽」の表紙に描かせたものかも知れぬが、それでは紋章に何も関係のないこととなる。
然るに村井家の定紋は、丸の内に剣かたばみであって、その剣かたばみの形は、1個の大きなオランダの帽子の上に、2個のオランダ煙管を十文字にして置いたように、見れば見られぬこともない。思うに喜右衛門が紋付羽織を着て、奉行所へでも出かける姿を、オランダ人が目撃して、その紋章は自分等が先日贈ってやった帽子と煙管とを巧みに組み合わせたものと早合点して、前に掲げたような記事を伝えたものらしい。


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