下関吉田 東行庵へ行く

2008.02.27



山陽本線埴生駅から東行庵へ歩く。勧められない。

途中の白梅。道順が不安になる。

おお!道路案内板に東行庵の文字があった!

やれやれ、晋作や奇兵隊の看板が見えてきた。東行庵前です。

よし、「奇兵隊のまち 吉田」の地図を押えておこう。

入口に石碑があるぞ。

長州は
奇兵隊の国である。
司馬遼太郎
「街道をゆく」より

高杉東行 作
おくれても
おくれても又
君たちに
ちかいし言を
吾忘れめや
東行曾孫 勝 書

高杉晋作歌碑  奇兵隊を創設した高杉晋作が慶応元年(1865)
八月、下関・新地町に日本で最初の招魂社を創建したときに、
亡き同志をしのんで詠んだ。

東行庵境内案内図

聖観世音菩薩像
ずうーっと階段を上ります。

おうのの墓

高杉晋作の墓  高杉晋作(号 東行)は天保十年(1839)
二百石の長州藩士の長男として萩に生まれた。
十八歳にして生涯の師吉田松陰の松下村塾に入門したのを
転機に希代の革命戦略家として頭角を現す。
文久三年(1863)長州藩が外国艦隊と砲火を交えるに及んで
奇兵隊を組織自ら初代総督となる。以後各地に討幕戦を指揮し
明治維新のさきがけとなったが慶応三年(1867)四月十三日
(命日は十四日)下関において結核のためその雷電風雨の如き
二十七歳八ヶ月の生涯を閉じた。
遺言によりここ奇兵隊本拠地吉田清水山に土葬される。

高杉晋作陶像

高杉晋作陶像2

東行庵梅園

表紙へ