あくる日、長崎奉行所は船の引き揚げについて、どんな方法が良いか悩んだあげく、
「船の引き揚げについては地元でやれ」というお札を出しました。さっそく田中正助、山下兵衛という知恵者が選ばれ、いろいろな方法で作業にかかりましたが、引き揚げられませんでした。
 それを見たオランダ人からも
「私達が引き揚げます」と申し入れがあり、海に潜りましたが、樟脳のガスが出て事故がおこり、これも失敗に終わりました。
 そのころ、香焼に村井喜右衛門という防州、今の山口県徳山市より来て地元の漁師から鰯を買い付け方々へ運ぶ回船業をしていた1人の男がいました。
 この船の沈んだ状態や、他の人が引き上げる作業をずっと見ていた喜右衛門は
「よし、これならば自分の力で引き揚げることができる。金などは問題ではない。自分の費用で引き揚げよう」と奉行所に願い出ました。



 年も明けて1月14日、奉行所より
「喜右衛門でやってよろし」と許可が出ました。
 そして1月17日よりさっそく引き揚げの準備を始めました。沈んだ船にまず大きな綱をかけ、しっかりと結ぶことから始めました。6本の大きな綱をオランダ人から借り、船の中の何ケ所かの梁に巻き付け、その綱に滑車を仕掛けたのです。
 まさに季節は1月の寒い時です。多くの人たちはお互いに
「オーイ気をつけろー」と声を掛け合ったりしました。
 喜右衛門も自分の人生の中で、一番大事な仕事だと一生懸命でした。
 沈んだ船を引き揚げるために喜右衛門と弟・亀次郎の持ち船であった大きな船を中心に、小舟百艘でオランダ船を取り囲み約600人で滑車を巻き上げたりしました。



 いよいよこの仕掛をもとに2月1日から海の底に沈んだオランダ船を引き揚げる作業を始めました。
 そしてとうとう2月19日、引き揚げに成功したのです。この引き揚げにかかった人夫は延べ6965人、今の香焼より多い人数です。船は1525艘でした。
 スチュアート船長をはじめ、オランダ船の水夫、長崎奉行所の役人、そしてこの引き揚げに力を尽くした人夫たちなど、その喜びは大変なものでした。
 今まであまり見なかった外国の船を、冬の一番寒い、条件の悪い時にまさしく喜右衛門の知恵と多くの人の力で引き揚げたのです。

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