このお話はオランダは勿論のこと世界中の人々に広まり、この当時としては歴史に残る有名なお話となりました。
そしてスチュアート船長たちは、修理に1年ほどかけ、無事バタビアに帰って行ったのです。
喜右衛門はオランダより酒入りフラスコを、長崎奉行所からは褒美を貰いました。
ふるさとの徳山に帰った喜右衛門は将軍様より、今まで武士でしかつけられなかった苗字を使うことを許され、屋号、村井屋喜右衛門より村井喜右衛門になり、また、武士並みの刀を差すことを許されました。
喜右衛門には亀次郎、音右衛門という弟がいましたが、香焼の今の里にある岩立神社に亀次郎寄進の石灯籠が、浦上に墓があります。
また、となりの町、深堀神社にも喜右衛門、亀次郎寄進の石灯籠2基あり、音右衛門の墓が円城寺にあります。
香焼でも喜右衛門は男の子1人と3人の女の子を育て、今なお子孫の方がこの地におられるという話です。
おしまい
村井喜右衛門へ