引き揚げるための仕掛は、喜右衛門の知恵の見せ所です。まず、何百本もの柱になる木、杉板、長い竹、綱、滑車を用意しました。沈んだエリザ号の前方に喜右衛門の船、西漁丸がつき、そしてエリザ号を囲むように百艘の小船が用意されました。それぞれに柱を立て、滑車を取り付け、綱で引っ張り、浮かそうという仕掛なのです。この作業だけでも半月かかったのです。
とうとうこの仕掛を元に、エリザ号を引き揚げる時がやってきました。陸の方では、まだかまだかと、奉行所の役人達を始め、見学者がいっぱい、見守っています。
喜右衛門は、潮が一番満ちてくる時期を待ちました。船が浮かびやすいその時がくるや否や、喜右衛門の号令が飛びました。綱はいっぱいに張り、滑車が凄いスピードで回り始めました。
そして少しづつ少しづつエリザ号が海面にゆらりゆらりと浮かび上がってきたのです。そうすると、この時を待っていたとばかりに、にわかに沖の方から強い風が吹いてきたのです。
そこで小船は帆を一斉に張り、風の力で一直線にオランダ屋敷のある浜へ向かい、エリザ号を引いて走っていったのです。
岸では、スチュアート船長を始め、エリザ号の乗組員、長崎奉行所の役人達、他の見学者達は目の前のこの光景を見て、一同「バンザイ、バンザイ」をくり返しました。その喜びようは大変なものでした。条件の一番悪い、この時期に、喜右衛門の滑車を使った仕掛け、潮の満ちた時を利用した浮かし方、風の力で浜へ引き寄せたことなど、まさしく喜右衛門の知恵の勝利でした。誰かが喜右衛門ではなくて知恵門だというのは納得のいくことでした。このお話は、オランダはもちろんのこと世界中に広まり、有名になりました。
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