翌日から早速、オランダ商館によって修理が始められました。喜右衛門の知り合いの船大工たちもこれに加勢しました。また、同時に、船底にあった積荷の銅や樟脳が次々に引き上げられました。
 そして完全に修繕が終わった5月23日、エリザ号は長崎を出発し、バタビアに帰っていったのです。


 喜右衛門は、オランダより酒入りフラスコを、長崎奉行所からは、褒美を貰いました。また、ふる里の徳山に帰ってから、毛利の殿様より、今まで武士でしかつけられなかった苗字を使うことを許され、村井喜右衛門になり、刀をさすことも許されたのです。


 喜右衛門には亀次郎、音右衛門という弟がいましたが、香焼の今の里にある岩立神社には弟亀次郎寄進の石灯籠があり、亀次郎の墓が浦上にあります。また、となりの町、深堀神社にも石灯籠が2ケ、深堀円城寺に弟音右衛門の墓があります。
 香焼でも喜右衛門は男の子一人と三人の女の子を育て、今なお子孫の方がこの地におられるという話です。

おわり

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