乃木大将の明察

前原騒動探偵の一札
今まで人に知られなかった
大将と萩の乱の交渉

大阪毎日新聞大正十五年九月十八日九頁広島山口版

前原騒動探偵の一札
(原文のまま)
本年御巡廻に付而は夫々準備致罷在候処本月二十五日午前一時頃熊本台下において賊兵蜂起同時に諸兵営火起り一時軍隊散乱の模様、昨夜に至り本台参謀の中久留米まで引揚候様子、当隊よりも将校下士を以って偵察旁々派出致し福岡分屯第三大隊は直に久留米へ向け出発の儀相命じ候次第管内戦備中の儀に候、この旨御承知の上御随行佐尉官の中当営まで御差越し相成、何分の御命を拝し度、不容易の形勢をも陳述致度、就ては山口県下動静探偵のため差遣致し候裁判十二等出仕橋本正名御地において御面晤可仕候間大略御聞糺有之度この段申進候也
歩兵十四連隊長心得
九年十月二十六日   陸軍少佐    乃木希典(印)

西部検閲使
陸軍少将      井田譲殿


◇萩の乱を明察した乃木少佐の手簡

乃木将軍殉死十五回忌と萩の乱の盟主前原一誠五十周忌のこの秋故人の遺徳と萩の乱の思い出を記念の意味からか、山口県教育博物館に乃木将軍の小倉十四連隊長心得の少佐時代早くも萩の前原党蜂起のことを事前に明察して時の陸軍検閲使井田譲少将へあてた珍しい一書が送られて来た、乃木氏と萩の乱の交渉は今まで人に知られなかった一事実であり、殊に時恰も双方の追憶を新たにする折とて目下博物館に陳列しているが、観者くびすを接している
書中に熊本賊兵とあるのは神風連の騒動を指したもので山口県下動静云々が前原党の蜂起を意味するのであって当時前原党の一人であった将軍の実弟玉木正誼氏の動静等からでも察知されたものと思はれる、更に面白いのはこの書簡の日付、明治九年十月二十六日は恰も前原一誠が一味の奥平謙助、横山俊彦、佐世一清等八十余名を萩の明倫館に集め旗揚の協議を凝らした日である





防長新聞大正十五年九月十二日

教育博物館陳列の
前原騒動探偵の一札
乃木将軍の書簡
県立教育博物館では都濃郡太華村櫛ヶ濱村井醇郎氏から乃木将軍が少佐時代に、時の検閲使陸軍少将井田譲氏へ宛た書簡の委託を受けたので、来る十三日は恰も将軍殉死の第十五回忌に相当するから維新記念室に陳列した、同書簡は罫紙一葉に認めた簡単のものだが萩の前原党蜂起を事前に探偵した旨を報告したもので、その文は左の通りである


乃木少佐の書簡

本年御順廻に付ては夫々準備致罷在候処本月二十五日午前一時頃熊本台下に於て賊兵蜂起同時に諸兵営火起り一時は軍隊も散乱之模様昨夜に至り本台参謀之中久留米迄引揚候様子当隊よりも将校下士を以て偵察旁派出為致福岡分屯第三大隊は直に久留米へ向け出発之儀相命じ候次第管内戦備中の儀に候得者此旨御承知之上御随行佐尉官の中当営迄御差越相成何分之御命を拝し此度不容易之形勢をも陳述致度就ては山口県下動静探偵之為め差遣致し候裁判十二等出仕橋本正名御地に於て御面晤可仕候間大略は御聞取有之度此段申進候也
歩兵十四連隊長心得
九年十月二十六日   陸軍少佐    乃木希典(印)

西部検閲使
陸軍少将      井田譲殿

書中に熊本賊兵のことあるは熊本神風連の騒動を指したるもの、山口県下動静探偵とあるは前原党の蜂起を意味するもので、現に前原党の一人たる玉木正誼は乃木将軍の実弟であるから、将軍は萩地の不穏を逸早く耳にすると共に探偵を発したものと思はれる、特に興味を惹く事は、此書簡が明治九年十月二十六日付であることで、此日は恰も前原一誠が一味の奥平謙輔、玉木正誼、横山俊彦、山田頼太郎、佐世一清等八十餘名を萩明倫館に集め、旗揚の協議を凝らした日である、故に此書簡は乃木将軍の十五年忌と前原党の五十年忌とを回顧するに絶好の資料である
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