2007年5月3日mkiemon下関
長州砲(80斤加農砲=カノンホウ)
下関みもすそ川公園、壇之浦砲台
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました(攘夷戦)。翌年8月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕(かいこく・とうばく)へと転換し、明治維新を実現する原動力となりました。
長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離.威力ともはるかにすぐれたものでした。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造(ちゅうぞう)していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻しています。
下関市
下関東ロータリークラブ制作原寸レプリカ
攘夷戦長州砲レプリカ
天保15年(1844)、萩城下の郡司喜平治信安が鋳造し下関の台場に配置されていた長州の大砲。元治元年(1864)の四国連合艦隊襲来の際、戦利品としてフランスへ持ち去られ、パリのアンバリッド(軍事博物館)に保管されていた。
日仏親善交流の一環として、昭和59年(1984)6月20日、120年ぶりに下関へ里帰りしたことを記念して、昭和60年(1985)に下関東ロータリークラブの手により原寸どおりのレプリカを制作、この地に設置する。
この里帰りは、アンバリッドと下関市立長府博物館からの甲冑など武具一式との交換貸与という名目によるもので、実物は現在長府博物館に展示されている。
thanks:画像はすべて、長州きえもん会下関幹事mkmotoさまにいただきました、ありがとうございます
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