2005.10.21asa福岡
甘木市にあるキリンビール福岡工場で「日本初」とされるビールが復元された。1812年ごろ、長崎・出島のオランダ商館長ドゥーフが醸造したもので、回想録や輸入記録など当時の資料を基に再現した。ビールのルーツをたどる同社の事業の一環。 オランダがフランスに併合されて生活物資を運ぶ船が来なくなったため、ドゥーフは百科事典を参考に自分でビールを醸造した。日本人が口にしたかどうかは不明だ。 当時はホップが入手できなかった。代わりに、中国船が運び込んでいた丁子を使い、台所の鍋や釜で造った、とキリンは推測した。仕上がったビールは丁子独特の香りが特徴。炭酸が弱く、おいしいとは言えないが、「ビール造りの固定観念を破るきっかけにして商品開発につなげたい」。来春同工場や長崎県で開く会社創立100周年イベントで、一般客にふるまう予定だ。 2005.10.21asa長崎
ドゥーフ氏は1799〜1817年に出島に滞在。当時ナポレオン戦争の影響で生活必需品が入ってこなくなり、ドゥーフ氏が「故郷のビールが飲みたい」と、日本で手に入る原料を使って自家醸造に取り組み、1812年ごろに完成したという。同社は、当時の文献やドゥーフ氏の著作を参考に復元を試みた。 原料には、大麦麦芽と小麦のほか、保存料の役割を果たすホップの代わりに中国から輸入した香料「丁子(ちょうじ)」(クローブ)を使用したため、当時は3、4日、現代でも2週間程度しか持たないという。アルコール度数は約4.5%で、麦芽の量が少ないため、酒税法上は発泡酒に分類される。
2003年12月から復元に取り組み、2年近くかかって完成した。様々な原材料や製法を試し、ようやく「これだ」と自信を持てるものにたどり着いたという。 福岡工場の吉村透留醸造部長は、「ビール造りは奥が深い。製造工程の大型化、自動化が進んでいるが、ビールは人間がつくるもので、ものづくりの魂を忘れてはいけないと改めて思った」と振り返った。 試飲した長崎さるく博’2006推進委員会の金谷博己事務局長は「こんなに甘くて優しい味だとは思わなかった。本国から物資が届かない厳しい中で造り、安心したんじゃないかなあ。時代背景を知って飲むとまた格別な味がします」と話していた。
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