その時に喜右衛門から申し立てた書面は、左の通りである。 沖紅毛船引き上げの儀、存じ寄りこれあり候に付、着手仕りたき旨おい おい申し立て候処、このたび各様より御上へ御願いくだされ候に付、諸 雑費入用等の儀、如何に相心得候やの段、御尋ねを被り承知仕り候、右 諸雑費入用銀等は、おいおい申し立て候所存毛頭これなく請負仕るべく 候、勿論私一手にて浮き方に相成らざる節は、謝儀たりとも決して請け 申す間敷く候、此の段書き付けを以て申し上げ候 以上 未正月 村井喜右衛門 天晴れなる喜右衛門の決心、引き上げは一手で引き受ける、諸雑費要求の所存は毛頭ない、引き上げ不成功なれば謝儀たりとも申し受けぬとは、小気味良き潔白なる申し立てで、奉行もオランダ人も全く感服してしまった。 然らばオランダ船の引き上げは、喜右衛門に申し付けるとの言い渡しがあって、喜右衛門は正月17日からいよいよ引き上げの準備に取り掛かったのである。 きえもんコレクション「西洋浪漫」角皿2 これよりさき喜右衛門は弟亀次郎や子分のものを従え、何回も沈没船の実況を視察し、工夫に工夫を重ねて確信を得たとは言いながら、日本では前例のないオランダ船の引き上げである。それが万一不成功におわるときは、自分一個の恥辱だけではなく、遠く西洋へまでも日本の不名誉を伝えることになり、一死をもって奉行へ謝するほかはないのである。 エリザ号浮き上がるか、喜右衛門沈むか、浮けば共に浮き沈めば共に沈む、青海原を土俵としての大相撲といわねばならぬ。 |