さてオランダ商館では意外な出来事に夢を破られ、その夜の詰番であった横瀬九左衛門と通詞本木庄左衛門は、早速小使を諸方へ走らせ救難の助力を求め、商館に居合わせた通詞岩瀬弥十郎・塩谷庄次郎・品川佐太夫の3人は、オランダ人レツテキ、ポヘットの両人と共に、大波止から鯨船に飛び乗り、ウウノスの案内により、隠れ瀬へ漕ぎ付けたのである。
 第2番には海陸取締方竹内弥十郎・隠密方松本忠次・盗賊方卯野熊之丞など、水夫10余名を召し連れ、難船救助のために漕ぎ付けた。
 第3番には長崎奉行所から、検使熊谷輿十郎・長谷川武左衛門なども漕ぎ付けた。そのほかに先刻オランダ商館からの急報に接し、救助の加勢として漕ぎ付けた大小の船舶は、エリザ号の周囲に集まって、万燈の光は大波に浮きつ沈みつ、力限りの活動は、目を驚かすばかりであった。
 このような物凄い大騒動の間に、永い冬の夜も明けはなれ、18日の朝となったが、暴れ狂う風波は、亳もその勢いをくじかれなかった。

離礁引き寄せ
離礁引き寄せ
千両
千両

 そこで救難の方法については、船長と商館と奉行との間に、色々意見も交換されたが、結局まず最初に上積みの荷物を降ろし、次に船を海岸に引き戻すことになり、その当時長崎に停泊していた下記の9艘の船へ、エリザ号の上荷を積み換えた。
大阪小新艘(900石積)加州清徳丸(350石積)加州幸吉丸(430石積)
小豆島栄宝丸(220石積)長州大黒丸(130石積)大村大黒丸(50石積)
大村久米丸(120石積)大村宮市丸(70石積)島原住福丸(300石積)
 そのほかに乗組員90名をも上陸させ、エリザ号は数10艘の引き船にて離礁させ、漏船のまま木鉢浦の土生田浜へ引き寄せたが、何分にも潮水は次第に船内に充満し、翌19日の朝になって、ついに船体は海底深く沈没したのである。
 土生田とは深泥の意味であって、現にエリザ号が沈んだところは、海底全部柔軟なる泥土に満ち、その深さは1丈3尺余である。もし村井喜右衛門が腕を貸さなかったなら、エリザ号は永久に土生田の底へ葬られたであろう。

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