![]() 寛政10年戊午10月 阿蘭陀船於唐人瀬沈船 同11年己未正月 防州喜右衛門挽揚 同5月 阿蘭陀船造作并村井喜右衛門漁場附海上風景 パノラマ (3)暗礁に乗り上げ、泥海に沈む 昨年(1797)第一次の航海が無難であったエリザ号は、今年も平安を期していた。しかし日本の近海を離れる時に、オランダ国旗とアメリカ国旗とを取り替えて、イギリスの襲撃を避けねばならないので、長崎出帆は10月17日の夕刻をえらんだのである。 この日は朝より快晴であって、海上も極めて穏やかに見えたが、意外にも日暮れより烈風吹きおこり、エリザ号が高鉾島の付近へ来た時は、大雨盆を傾ける様に降りだし、怒涛渦を巻いて、船体を揺り上げ揺り下ろし、轟然たる響を聞くと共に、たちまち暗礁に乗り上げた。 この暗礁は隠れ瀬または唐人瀬の名があって、昔も唐船がここで沈没したことがある。エリザ号は遠洋乗り廻りに適する銅鉄張りの構造であったから、ただ暗礁に乗り上げただけなら、そんなに危険もないのであるが、海中に剣の様に突起している岩石のために、船底を突き破られ、そこから海水が瀑布の様にそそぎ込み、かつまた波はますます狂い、風もますます吹いて、船はまたたく間に沈没せんとする光景に迫ったのである。 さすが悪航海に慣れた船長スチュアートも、今は進退の術も尽きて、さしむき船の転覆を避けるために、水夫に命じて3本の大帆柱を切り倒させ、2個のポンプを使って、漏水を汲み出させているが、船の運命は刻一刻と縮まって来る。
この時ウウノスという黒人が進み出て、自ら長崎オランダ商館へ報告し、加勢を要請して来ますと申し出たので、船長は大いに喜んで、ボートを降ろしウウノスに与えた。勇敢なウウノスは、踊り上がってそのボートに乗り移り、風雨の吼える暗黒の海を、短い櫂で押し切り押し切り、まず番船に報告して、町使いの成田繁次・杉山勘四郎の両人と共に、大波止から上陸し、オランダ商館の表門へ馳せつけて、エリザ号の急変を訴え出た。 この黒人ウウノスは7年ばかりも長崎に在留していたもので、今回エリザ号の便に託し帰国するために乗り合わせたのであった。
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