修復
エリザ号修復
近藤清石書
近藤清石書

 さてエリザ号が海岸へ到着したのは29日の正午過ぎであって、直ちに干潮の時となったから、諸人雲霞のごとくに集まって来て、船底の傷の所を見ると、暗礁に穿たれた穴は、ただ星のように彼所此所に散在するだけで、これが山のごとき巨船を沈没させた原因であるとは、皆々驚き疑うばかりであった。
 それにしても風と潮とによって沈没した船を、同じ風と潮の力によって浮き上がらせた喜右衛門は神か仏か伴天連かと、見る人聞く人感嘆せざるはなく、初め嘲弄した長崎人も、喜右衛門のことを智右衛門と呼び替えて、大いに尊敬したのである。
 しかし多人数の中には喜右衛門の名声をねたむものもあって、「今に見よ彼は引き上げ成功の代価として巨額の報酬を要求するであろう」と評していたが、喜右衛門は最初の申し立て通り、報酬はさて置き、実費の弁償さえも願わず、オランダ商館や船長スチュアートは、奉行に頼んでまでも弁償をしたいと申し出たが、喜右衛門は断然これを拒絶し、かえってエリザ号修繕に助力したいと請うた。
 嗚呼人は利欲の動物とは誰が言うたか、かかる高潔篤実の漁夫もあるのに。喜右衛門を智右衛門と呼んでは言い足りない、徳右衛門殿と申したいのである。


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