(6)智右衛門か、徳右衛門か さて正月29日には、防州の漁夫村井喜右衛門が、オランダ船を引き上げるというので、長崎奉行所オランダ商館などからは勿論、近郷近在からの来観者、先を争うて土生田浦に押し掛け、海に陸に人の山を築いた。 ようやく薄れ行く朝霧の間から見渡せば、エリザ号の沈没した海面には無数の木柱林立し、これにかけ渡された大綱小綱は蜘蛛の糸を引いたように、規則正しく縦横に広まり、その綱の一端には船が繋がれている。 その日に土生田浦の海上に浮んでいた船は、何百艘という数を知らないほどであるが、実際に引き上げに従事したのは150から160艘であって、中にも75艘の網船が、エリザ号の周囲に配置せられて、主なる任務を引き受けたのである。
やがて海面が全く明けて、山の端にきらめく朝日の光の第一線が、帆柱の日の丸の旗に映ずる時、満ちて来る潮は最高に達し、総ての大綱は緊張し、総ての木柱は動揺し、総ての滑車は急転し、総ての船夫は勇躍し、衆目の集まる海面の一点、一寸また一寸、一尺また一尺、珍しやエリザ号、去年10月19日以来、足を泥に取られたその船が、ゆらりゆらりと波の上に浮んで来た。 |