遠石八幡宮2
遠石八幡宮本殿
 総じて船乗りは誰でも神仏を崇敬するものであるが、喜右衛門は最も信仰に厚い男で、神社・寺院などに寄附募集のことでもあれば、必ず第一番に多額の金を奉納することを常としていた。現に備州の瑜伽や、讃州の金毘羅宮や、防州の遠石八幡宮などにも、村井喜右衛門奉献の石燈籠がある。
 また櫛ケ浜の玉泉寺が腐朽頽破した時でも、喜右衛門が一手でこの寺を重修したのである。
 ある人が喜右衛門を謗りて、彼は禅宗でありながら、真宗の寺を建立するとは、評判ほどにもあらざる馬鹿者かなというた。喜右衛門これを聞いて、達磨大師も親鸞上人も、共に御釈迦様の弟子ではないかというて笑った。

遠石八幡宮1
遠石八幡宮鳥居
灯籠1 灯籠2
喜右衛門.亀次郎奉献石燈籠2基

 また喜右衛門が、神社に参拝した時の様子は、誰でも気狂いかと怪しむ程である。まず神前に拝伏して、大声に張り上げその神様の御名を呼び、次に扇子を開いて殿中を徘徊し、極めて活発なる踏舞を試みるのである。それは何故ぞと問う人に答えて、神意も人情も同様であるから、祈願する前には神様を喜ばせねばならぬというた。
 このような性質の喜右衛門であるから、オランダ船引き上げを請け負うて以来、堺の住吉大明神へ立願し、毎朝船首(みよし)に立ちいで、例の踏舞を試みて、何とぞ引き上げを成就せしめたまえと祈っていた。さて29日はいよいよ引き上げ当日であるから、喜右衛門は西漁丸の船首に立ち、舞いに舞い祈りに祈った。


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