村井喜右衛門の扇子
一 寛政十年十月十八日阿蘭陀船長サ二十二間横六間底六間
肥前国長崎唐人瀬ニテ難船木鉢ケ浦ニテ沈船ニナル
一 右船浮方仕候者有之候ハバ可申出之旨高札立由
一 同十一未正月十七日防州都濃郡櫛ケ濱船頭村井喜右衛門為御
国恩浮方自力ヲ以相願浮方被仰付候御書渡
此度沖阿蘭陀沈船浮方之儀防州船頭喜右衛門へ
相対を以相憑度旨役人阿蘭陀人申出候ハバ願通聞
届候尤浮方取懸リ中小指相用候儀差免候事
正月
一 同日浮方へ懸ル二月十八日浮舟翌日干潟へ漕付ル紅毛人船
作事へ懸ル浮方人力二千五百十五人銀高五十貫目程ト云
一 同廿一日長崎御奉行朝比奈河内守殿御書為御賞美銀
三十枚被下之御書渡
防州都濃郡櫛ケ浜船頭
村井喜右衛門
其方儀沖紅毛沈船浮方儀紅毛人ヨリ相頼候処
差はまり致出精殊ニ自分入用を以早速浮船ニ
相成修理ニも取懸り候段誠ニ抜群之手柄紅毛
人者不及申当所一統安心満足之事ニ候
依テ為褒美銀三十枚為取之候
未ノ二月
一 同廿二日紅毛人ヨリ徳利十四酒入有之其外浮方之節
酒肴送ル御奉行ヨリも料理一汁五菜
一 追日御奉行所へ被召出御家老ヨリの御賞美
防州都濃郡櫛ケ浜船頭
村井喜右衛門
其方紅毛船浮方ニ取計仕抹抜群之手柄
之段松平伊豆守殿御賞美候右御沙汰之趣
申聞せ置候
一 御奉行ヨリ萩表へ御書を以申来喜右衛門為御賞美永名刀を免サル
一 櫛ケ浜ハ宍戸美濃殿就年之領地美濃殿百姓惣頭其外賞美
一 喜右衛門当未四十八歳
一 紅毛人砂糖廿俵追テ来着之上遣度由相願済
一 紅毛人帰国之上国王へ訴永代之仕成相願由定紋
ケンカタバミ相印 ナリ紅毛人帆昇ナドヘ付ケ
帰ル図面板行数百枚取帰ル万国へ吹張スト云諸国
流行ス
一 御用之舟印之昇御奉行所ヨリ頂戴ス
一 御奉行喜右衛門返盃ヲ受ル御代官ハ高木作右衛門ト云
一 住吉ヲ常ニ信仰ス口伝
一 性質温柔貞実偏ニ信ヲ常ニスト云
一 信ノ字ト名ハ喜右衛門直筆
一 喜右衛門自歌ト云
世中に智恵ほどしれぬものハなし堪忍
するのが一の智恵かな
日のもとの神の力の奥しれず御一口の
百万げふ御上ケ被成し御神様もありまた
一けふ上し人もあり 字余りナリ
一 宍戸殿へ寛政十一未六月十九日ニ出萩廿日廿一日
両日教忠対談委細尋聞之聊無相違事也
後永忠
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