2003.06.17日刊新周南
高杉晋作の手旗は村井家の寄贈
村井家が贈ったとされる手旗 |
2月に下関市の東行記念館から撤去された幕末の志士、高杉晋作の史料約270点の中に
周南市櫛ケ浜の村井家が奇兵隊に贈ったといわれる手旗があることが同家の史料などからわかった。
村井家は藩制時代、長崎湾口で沈んだオランダ船を独自の工法で引き揚げ、ヨーロッパにまでその名が
知られた村井喜右衛門の子孫。 手旗には豪快に龍と雲が描かれ「隊録」として
「易曰雲従龍既曰龍雲従之矣(易経にいわく、雲は龍に従うと、すでにいわく、龍と雲が之に従うと)」
と書かれている。雲が龍に従うというのは同気相求めることであり、同気=同志が求め合い集まることを
指している。 維新後、血まみれになったこの旗が村井家に戻ってきたとされ、1919年(大正8)、
晋作が所持した旗として当時の県教育博物館で展示され、40年(昭和15)に東行記念館の前身の
高杉記念館が作られた時に故村井醇郎さんが寄贈し、東行庵が保管して、同記念館で展示されていた。
また村井家の史料によると手旗が納められていた箱には吉田松陰の実兄、杉民治の添え書きがあることも
わかった。 村井喜右衛門の弟、亀次郎の子孫で醇郎さんの孫、洋一さんは手旗について
「しっかりしたところで確実に扱ってほしい」と話している。
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