寛政十戊午年十月十七日
於長崎沖
阿蘭陀船破損書付
寛政十戊午年十月十七日、阿蘭陀船長崎より帰帆の時、高鉾島の近所、舵掛けと云ふ所にて、岨(そわい)に乗りかけ、船底四五ケ所破損し、夫れより潮さし入て渡海なり難く、また長崎へ帰る。(長崎より二里余沖、木鉢浦といふ所)
蘭船損傷の図
荷物など取り揚げ候内、追々潮差し込み水船と成り、終に五六間程沈んで、船底は泥沼へ座り、致し方之無きに付、長崎御奉行所へ申し出候故、御役所より早速御触れ出しあり。
出島古図
古版画阿蘭陀船図 |
又高札など相建てられ、紅毛船浮かし方の工夫、心付き候者之有りは申し出べしとの事に付、長崎の町人四五人相謀り、御役所へ申し達し候上、十一月二十日より浮き船に取り懸り、数多の船を集め、はね木を仕かけ、又いろいろと手段致し試み候得共、大船の事ゆえ少しも浮き上らず、日数四十日ばかりかかりて其のしるしなく、依て御役所へ御断り申し出候。
其の後防州串ケ濱の船頭喜右衛門といふ者、年来長崎香焼と申す所へ鰯あみ仕入に下り、或は干鰯を買い取りて諸国へ運送す(喜右衛門手網十帖仕入網十帖所持す網一帖に船六艘人数五六十人づつ相懸るよし)折節右沈み船の様子を聞き伝へ、費用をいとはず、何とぞ浮き船いたし度き心付、長崎御役所へ伺い候に付、同十二月二十七日喜右衛門召し出され、何様速やかに功をなすべしと仰せ渡され、爰に於いて未正月初旬より取り懸り、日数二十日ばかりにして、同二十九日に至り無故浮き船となし、新出島と申す所まで引き寄せ、夫れより紅毛人へ渡し、来る四月下旬までに出帆す。
阿蘭陀船入津ノ図 |
右浮き船いたし方は、紅毛船に有り合せ候纜こきそ綱一(長さ150間太さ2尺廻り)シュロ綱二(長さ廻り右に同じ)はせを綱一(同右)すべて四筋の内、二筋をもって(一筋に50人づつかかり取り扱う)紅毛船の真中を二重に巻き、其の綱へ南蛮車を仕かけ、材木にて(長さ5間幅2間余)筏二ツを組み(船の左右にして)筏の上より長四丈余の柱二十二"三四尺程づつ下へ出し筏の間に入生木のごとく不動様に仕組み)上の方に横貫きにて堅め、南蛮車を結び付け、四百石積の船を長とし、五六十石積の船およそ百艘程にて紅毛船を取り廻し、数百人して其の船より轆轤索にて巻き上げるなり。
阿蘭陀船(長さ二十二間幅中程六間高さ六間七千石余つむ)舳は丸き形にして、船の上せまく中ふとにて、冬瓜の形に似たり。上荷取り除ての後千石積の荷あしに相見へ、中荷船ともに総重さ二万石ばかり之有りなり。
円山応挙長崎港之図 |
帰帆故に格別の荷物もなし、銅樟脳ほかに石火箭二十四挺あり、船の中に上段(帆棚のごとく船の走る時水主のはたらく所なり)中段(水主の寝所なり)下段(素板にて一間四方の穴一つ四尺ばかりの穴二つ都合三つ荷積みの穴又人出入の穴なり此のほか総はりつめなり)有りて、寝所は唐かづらをあみて座とし、四面に緒を付け、ふとんを敷き(下に敷きて上には多くなし)鶏のねぐらのごとくにして、床より三四尺引き上げ、其の中に休む。
加毘丹(是は舶首なり)アンジン(大勢の人をつかひ又荷物の支配をす)ボウトリ(船頭なり年齢28歳なりと云へども40ばかりの人相、日本へは度々来りヲロシヤへも行しと云ふ)クロス九十人余(身の丈5尺より5尺2、3寸色はなべて黒し)。
船の外面はチャンにてぬり、銅にて包み、至て大丈夫に造り立しものなり。船を造り立るにおよそ十年ばかりもかかると云ふ。
沈み船三尺ばかりも浮し時、御奉行所より御使者船(紫の幕打し船なり)酒肴を遣わされ候て、喜右衛門労を謝し給ふ。其の後船浮き上りて、紅毛人へ渡し遣わしかば、喜右衛門を御奉行所へ召し出され、御直に読み渡し給ふ書き付。
防州都濃郡串ケ濱船頭
村井喜右衛門へ
其の方義、紅毛沈み船浮かし方の義、紅毛人より相頼み候処、差しはまり出精致し、殊に自分入用をもって、早速浮き船に相成り、修理にも取りかかり、抜群の手柄、紅毛人は申すに及ばず、当所一統安心満足の事に候。よって褒美として銀三十枚下され候。以上。
未二月
蘭船風涛逢難之図
紅毛人より砂糖二十俵(一俵400斤づつ入)喜右衛門へ謝礼として遣わし度き段、御奉行所へ願い出候処、御許容あり。当時有り合せ申さず、当年来着の船より相渡し候由。
アンジンよりふらすこ徳利十、ボウトリより同四つ、船中に有り合せに任すとて、喜右衛門假屋へ携へ来りて此の労を謝す。喜右衛門は長州萩領分の者故、浮き船いなや出精手柄の段、御役所よりも飛脚差し立てられ、江戸へも御注進有りしなり。
肥前崎陽玉浦風景図
事済みて喜右衛門長崎の街に出し時、見物人夥し。喜右衛門年齢四十八歳、身長六尺余、面丸く色白くして、頬髭黒し。紅毛木綿の大形なるをぶっさき羽織とし、太刀作りの長脇差をさし、大波戸にて船より上りし時(丈夫なる水主の者を十人ばかり召し連れ、御役所へ御礼として上る)居合わせ候唐人是を見、ただ人にあらずとて、喜右衛門が姿を絵に写し持ち帰りしとなり。
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