都濃郡櫛ケ浜浦地理誌 「15」
都濃郡 櫛ケ浜浦(つづき)
村井喜右衛門
右寛政11未年長崎御奉行朝比奈河内守様御役中、木鉢浦にて阿蘭陀船沈船仕り、浮け方の儀段々御吟味仰せ付けられ候え共上がり申さず、近国えも御触れ達し相成り、沈船浮け方の者これ有り候はば申し出づべし旨御高札をも建てなされ候、折柄喜右衛門彼の地罷り越し居り、浮け方の儀申し出で候処、御目付鈴木七十郎様御役所召し出され、沈船弥浮け方相成るべし哉と御尋ね成られ、場所えも罷り越し見合いの上御請け合い仕り候、荒増し左の通り
このたび沖阿蘭陀沈船浮け方の儀、防州船頭喜右衛門へ相対をもって相頼みたき旨、役人阿蘭陀人申し出で候に付き願い通り聞き届け候、尤も浮け方取り懸り中御用小指し相用い候儀差し免じ候事
寛政11年未正月
右の通り仰せ渡され候に付き申し渡し候
正月15日
一、正月17日 人数およそ500人 船数75艘 但し船別およそ60石積
一、阿蘭陀船綱3房借り受け船の大廻りへ懸け申し候
但し綱の長さ120間、およそ曲尺2尺1寸廻り、1房150人持ち
一、同18日 人数船同断
一、同19日 同断
一、同20日 同断
但し右3日の間諸道具仕向け仕り候
一、大柱2本 但し長さ13間、廻り6尺
一、柱20本 但し長さ8間より6間まで、廻り6尺より5尺まで
一、杉柱120本 但し長さ6尋より7尋まで、廻り1尺5寸
一、板1枚 但し長さ6尋、幅4尺5寸、厚さ7寸
一、同18枚 但し長さ5尋より6尋まで、幅3尺、厚さ4寸より3寸
一、松柱80本 但し長さ6間より2間まで、廻り5尺より3尺5寸まで
一、杉丸太500本 但し長さ9尋より6尋まで
一、同300本 但し長さ2間より3間まで
一、松2間物12本 但し幅1尺5寸、厚さ8寸
一、楠板12枚 但し幅1尺5寸、厚さ4寸、長さ2間
一、杉板12枚 但し長さ4間、厚さ3寸
一、大竹300本 但し竿竹に相成る分
一、苧綱100本 但し右の木道具結い付け候分
一、市皮綱桧綱藁綱200本 但し右同断
一、明き樽250挺 但し船のあか取り桶の分
一、土俵2千俵 但し船の左右海底え柱建て候に付き入用
一、大束1200〆 但し篝松に相成る分、尤も1把5尺廻り
一、南蛮車900車 但し船巻き道具に相成る分
一、同21日 人数200人船75艘
一、同22日 右同断
一、同23日 右同断
一、同24日 右同断
一、同25日 右同断
一、同26日 右同断
一、同27日 人数300人船75艘
一、同28日 右同断
一、同29日 人数400人船75艘
右日数の間船浮け方およそ3尺計り
一、紅毛船長さ22間横6間深さ6間石数およそ8千石積
一、同日御奉行所より浮き初めの御祝に御樽折下し置かれ候事
一、2月朔日 人数150人船75艘
一、同2日 人数200人船同断
一、同3日 人数500人船同断
右日数3日の間船浮け方6尺計り上がり都合9尺計り浮け方相成り、それより大船75艘をもって釣り揚げ紅毛新屋敷の下たえ船残らず帆を揚げ走り付き候、尤も沈船の場所より町数およそ5丁ほど
一、同4日 人数300人船同断
右今日沈船5尺計り上がり申し候
一、同日 阿蘭陀人より歓と〆酒1挺肴1折御役人御持参成られ候事
一、同5日 人数200人船同断
右今日船5尺計り上がり申し候
一、同6日 人数100人船20艘
右今日まで船浮け方およそ8歩方上がり候に付き、紅毛人作事に取り懸り申し候
一、同13日 人数15人
一、同14日 人数150人船20艘
一、同15日 人数船同断
右両日の間6尺計り上がり申し候
一、同16日 人数船同断
右今日船4尺計り上がり銅100斤入り340箱樟脳焼物米籾古板取り揚げ候
一、同17日 人数船同断
右銅100斤入り420箱古板その外ともに取り揚げ物およそ石高に積り700石余
一、同18日 人数船同断
右今日船5尺計り上がり申し候
一、同19日 人数100人船同断
右今日諸道具残らず取り片付け紅毛船の儀は汐干潟え揚げ自由に作事相成り候
一、同21日 御用に就き長崎御屋敷召し出され、このたび紅毛船浮け方御褒美為すと〆御奉行様より御直に御書御読み聞かせ成られ候
写し左の通り
防州都濃郡櫛ケ浜船頭
村井喜右衛門
その方儀沖紅毛沈船浮け方の儀、紅毛人より相頼み候処、差しはまり出精致し
殊に自分入用をもって早速浮き船に相成り、修理にも取り懸り候段誠に抜群の手柄
阿蘭陀人は申すに及ばず、当所一統安心満足の事に候
よって褒美として銀30枚これを取らせ候
未の2月
一、松平大膳大夫(毛利齊房)殿より名字帯刀差し免ぜらる
都濃郡櫛ケ浜浦宍戸美濃守殿知行所
百姓 喜右衛門
右去る秋帰りの阿蘭陀船長崎沖浦上村木鉢郷にて沈船相成り候に付き、浮け方の儀
長崎御奉行所において種々仰せ付けられもこれ有り候へ共浮け方出来兼ね候処
その砌(みぎり)喜右衛門事彼の地商売方に付き参り合わせ候て紅毛人より相頼み
喜右衛門心遣いをもって浮け方相成り、紅毛人は申すに及ばず長崎表一統安心満足の由
これによって御奉行朝比奈河内守殿御役所召し呼ばれ、御褒美として銀30枚下され候由
河内守殿より彼の者抜群手柄仕り候段御知らせ申し来り候、肝要の場所において
比類なき手柄せしめ神妙の至りに候、これによって各別の御沙汰をもって永世名字帯刀
差し免ぜられ候條、この段御申し渡しあるべく候、以上
寛政11未3月
矢嶋作右衛門
山崎新八殿
一、同3月 なおまた御領主(宍戸美濃守)様よりも御賞美仰せ付けられ候事
一、松平伊豆守様より御賞美御書き下し左の通り
防州都濃郡櫛ケ浜船頭
村井喜右衛門
その方儀先達て紅毛沈船浮け方取り計らいの始末松平伊豆守殿御聞き及ばされ
抜群手柄の段御賞美に候、よって右御沙汰の趣き申し聞かせ置く
未4月
一、日の丸の船印し
右従大公儀頂戴仰せ付けられ候事
一、この外翌年紅毛人より土産として白砂糖100斤入り25挺差し贈らる
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