再び鳳来山へ行く2

32年前の宿、小松屋を探しに行きます


駅前バスターミナル、雨が降っています
旅館「小松屋」を探しに本長篠についた2006.2.26午後
だれもいない、誰も来ないので、タクシーを呼んだ、鳳来寺表参道へ向かう

山頭火句碑1
たたずめば
山気しんしん
せまる
山頭火詠

山頭火句碑2
春雨の石佛みんな濡れたまふ
水音の千年万季ながるる
山頭火
種田山頭火旅日記、昭和14年6月22日の一節
鳳来山へ、駅から山まで1km、そこからお寺(本堂)まで1km、石段(その
古風なのがよろしい)何千段、老杉しんしんと竝び立ってゐる
水音が絶えない、霧、折からの鐘聲もありがたかった

山頭火句碑3
山の青さ
大いなる御佛おはす
山頭火

1425段の石段、そこらで拾ったような自然石を並べて作ってある

石段のそばを流れる急流
大雨の所為か水量豊富で急流である

芭蕉句碑(旧木枯句碑)
こがらしに
岩吹きとがる杉間かな
松尾芭蕉
江戸時代の有名な俳人松尾芭蕉が鳳来寺を訪れたのは、今から300年
余り前の元禄4年の10月下旬のことでした
前日、新城に住む弟子太田白雪の家に泊まった芭蕉は、弟子たちを連
れて鳳来寺へ参詣に来ました、急な坂道の途中で足を休め
木枯らしに岩吹きとがる杉間かな
という句を詠みました、現在、参道の石段を100段ほど上った左側に
この木枯らしの句碑が建てられています
たいへん寒い日だったので冷えたためか、芭蕉は持病がひどくなり、頂
上まで登らずに引き返し、表参道にあった家根屋という宿屋に泊まりま
した、この宿で芭蕉は
夜着一つ折り出して旅寝かな
という句をよみました、この夜着の句碑の建てられている所が、家根屋
のあった跡です
当時47歳の芭蕉は、既に俳聖とあがめられ、芭蕉翁と呼ばれていました

仁王門
この門は、両脇の仁王像・鳳来山東照宮とともに、徳川3代将軍家光の命
により、慶安3年(1650)に着工され翌年4代将軍家綱の時に完成した2階
には、匂欄がめぐらされ蟇股前面は竹に猛虎、裏面は牡丹に唐獅子が
彫刻されている
仁王像は、江戸時代のものであるが、造形的な崩れもなく、堂々とした作風
で力強さが感じられる、作者は江戸・鎌倉の両方で活躍した法橋雲海である
なお、仁王門正面上部に掲げられる「鳳来寺」の額の書は、むかし聖武天皇
が病気になられた時、お后の光明皇后が鳳来寺の薬師如来に祈願された
ところ、まもなく全快されたので、お喜びになり「鳳来寺」とお書きになり寺へ
贈られたものである(上画像で白く見えるもの)

神木「傘杉」
新日本名木100選、傘すぎ
この山で最も優れた木で、傘の形をしているところから、傘すぎと呼ばれる
ようになった
目通り周囲7.5m、樹高60m、枝下の高さ37m、樹齢約800年
平成2年6月2日鳳来町鳳来寺

傘杉2
賽銭をあげて、家内安全、商売繁盛を祈願す
この上、松高院、牧水歌碑、医王院まで登るも、日暮れて、息もあがってき
たので、下山した

小松屋
ところで、32年前の旅館探しはどうなったかというと、小松屋の文字をパンフ
レットに見つける、また、牧水の説明板で牧水が小松屋に泊まったと知る
若山牧水
若山牧水は、明治から大正にかけての頃の有名な歌人です、若い頃からいろ
いろな傾向の歌をつくりましたが、特に晩年は自然を愛し、素直な心情を歌に
しながら、酒と旅を楽しみつつ生涯を終えました
牧水は大正13年7月、鳳来寺を訪れ医王院に5日滞在しました、そして、大正
15年6月、再び鳳来寺を訪ね、小松屋に1泊しました、牧水が鳳来寺を訪れた
時に残した
仏法僧仏法僧と鳴く鳥の
声をまねつつ飲める酒かも
という歌を刻んだ碑が、松高院の上の左側の岩の壁にはめ込んであります
しんしんと更けていく深山の気配を肌に感じながら、静かに酒を飲んでいると
「ブッ・ポー・ソー」と、澄んだ鳴き声が、深い木立の間の空気に共鳴して
響いてくると、鳳来寺の里の静かな夜を詠んだものでしょう

コノハズク(仏法僧)
“ブッポーソー”とかん高い鳴き声を、仏教の三宝「仏・法・僧」と聞きなして
古くから霊鳥としてあがめられています、愛知県の鳥にも指定されており
5月から7月にかけて鳳来寺山一帯で鳴き声を聞くことができます

御守り
鳳来寺新本殿で購入した、仏法僧を彫った「御守り」

小松屋駐車板
つづいて、鳳来寺山自然科学博物館近くで、小松屋の駐車場であったことを
偲ばせる駐車板を見つける

小松屋解体跡地に建設中の住宅
ついに、小松屋が存在した場所に辿り着く、非常に残念なことに、2年前に
廃業されて、去年解体されたそうです

おわり