徳山市指定文化財
遠石八幡宮洪鐘 一口
昭和49年24日 指定
社伝による由来
元暦2年(1185)3月22日壇の浦合戦の2日前、この地の対岸にあたる今の大島半島でも源氏と平家との間で小戦があった。その時流矢が社頭の鐘にあたって破損したがその後正和5年から5ヶ年かかって元応2年12月12日出来あがったと伝えられる。
昭和59年3月30日
徳山市教育委員会
この鐘は、全長125センチ、口径73センチで高さにくらべて口径がやゝ大きく堂々とした鎌倉時代前期の鐘の特徴をあらわしています。鐘銘にはこの鐘を鋳造するにいたった理由や、元応2年(1320)の年号が入っており徳山市に残る工芸品として貴重なものです。
洪鐘銘文
一区 諸行無常 是生滅法
生滅滅已 寂滅為楽
二区 日本周防國 八幡遠石宮
華鐘深夜響 断盡且千夢
三区 嚢古已来和霜者漏更之告舊
暗天之聴久然而元暦挑戦之
間流矢中鑿之後雖発鯨魚如
撞瓦礫因茲正和五年仲春下
旬聖舜法眼普唱知識九乳新
成一音是闕形似蒲牢聲非鏗
鏘承軒轅之命異伶倫之作方
今探蔵否於占卜感聴許於幽
冥肆以錬二口鋳一躰益社壇
利宇宙而巳
のうこいらいわそうはろうこうのこくなりふるくより
嚢古已来和霜者漏更之告なり旧より
あんてんのちょうひさし。しかりしこうしてげんりゃくちょうせんの
暗天之聴久し。然而元暦挑戦之
かんりゅうしあたりこれをうがつ。げいぎょをはっすといえども
間流矢中り之をうがつ。鯨魚を発すと雖も
がれきをつくがごとし。よりてここにしょうわごねんちゅうしゅんげじゅん
瓦礫を撞くが如し。因て茲に正和五年仲春下旬
せいしゅんほんげんあまねくちしきにしょうしきゅうにゅうあらたに
聖舜法眼普く知識に唱し九乳新に
なれどもいちおんこれかく。かたちほろうににたれどもこえ
成れども一音是闕。形蒲牢に似れども聲
こうそうにあらず。けんえんのめいをうくれどもれいりんのさくにことなる。
鏗鏘に非ず。軒轅之命を承くれども伶倫之作に異る。
ほうこんぞうひをせんぼくにさぐりちょうきょをゆうめいにかんず。
方今蔵否於占卜に探り聴許於幽冥に感ず。
ついにもってにこうをれんしいったいをちゅうす。しゃだんにえきし
肆に以二口を錬し一躰を鋳す。社壇に益し
うちゅうをりするのみ
宇宙を利する而巳
四区 元應ニ年庚申十二月十二日鋳物師大和貞清
願主 沙 弥 佛 然
宮司法眼和尚位聖舜
神主左衛門尉大中臣貞直
大俗別當兼預所従五位下豊前守平朝臣景光
サルベージの草分け
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