蛮喜鍛煉書4

長崎沖オランダ沈船浮上す

竹で綱を入れる図
竹で綱を入れる図
寛政11未正月17日、初めて浮かし方に取り懸る。人数およそ600人、船数400石積みより5、60石積みまでおよそ7、80艘。その節、すぐさまオランダ船の綱3房借り受け、すぐに沈み船の大廻し懸け、ただしその綱ひと房150尋、3房合わせて450尋、丸み金さし2尺1寸廻り、ひと房に付き懸り目およそ8000斤。大柱2本、長さ13尋、廻り6尺。同柱20本、8間より6間まで。杉柱220本、6尋より7尋。大竹600本。空樽4、500丁。土俵3000俵。大束1200〆かがり火なり。南蛮車およそ900余。17日より20日まで、毎日人数5、600人あて。21日より26日までは、人数200人あて。同27日、同28日350人あて。同29日人数600人。船75艘。右日数の間は諸道具仕構へにて、船浮かし方今日より初めおよそ5、6尺上がる。
右オランダ船長さ21間、横6間、深さ6間。石数およそ8、9000石積みは御上向きなり、内証積みはその余。浮き初め相成るまではいずれも昼夜なり。浮き初め祝儀として御奉行様より御酒1斗1升、御肴1折り仰せ付けられ頂戴のこと。
引き揚げ
引き揚げ
2月1日2日200人宛。同3日人数500人。船同断。右3日の間に船浮き方6尺余り。都合今日まで船9尺より一丈程上がり、それより右の船、75艘、大船2艘にて釣りあげ、オランダ新屋舗の下へ、有り船残らず帆懸け、かのところへはしり付く。同4日より6日までにおよそ8分上がり、オランダ人作事に取り懸り、19、20日まで浮かし方相調う。これまで人力およそ13000人とかや。
同1日2日より仕拵ふ。3日早朝より御奉行朝比奈河内守様木鉢ケ浦へ御出浮き遊ばされ、近辺山々嶋々へ御旗立てならべ、右75艘その外役船帆をまき上げ、海陸とも鳴りものにて漕ぎ付けしは、あつぱれゆゆ敷きことどもなり。
帆掛け引き付け
帆掛け引き付け
御奉行様喜右衛門船へ御乗り遊ばされ、扇子をもってあをぎたて、御褒美の御言葉やまざりけり。すぐに御持参の御酒肴御取り出し遊ばされ候て、則ち喜右衛門へ御盃御直々仰せ付けられ、すぐさま返納致すべしとの御意にて御返上仕り候へば、御奉行様御歓び大方ならづ。それより御役人中も御数盃召し上がられ、すぐ長崎へ御帰り遊ばされけるとなり。オランダ人は大いに悦び、手の舞ひ足の踏みどころを知らず、おめきさけびて、謠舞は止まざるとなり。
修復
修復
喜右衛門オランダへ申し候は、この船作事はいかがしてよろしく候哉と尋ねければ、オランダ人すぐに磯辺まで引き上げくれ候様頼みけるゆえ、喜右衛門申し候は、陸へ上げては船底いたみ船のためよろしからず。やはり浮かし置き、取りかぢ作事のときはおもかぢへかたむけ、おもかぢ作事のときは取りかぢへかたむけ作事よろしく、これいかがと言はば、オランダ人言ふには、それはよけれどこの度の儀はやはり岡へ引き上げくれと申し候に付き、望みに任せ引き上げけるとなり。
肥前侯賜木
肥前侯賜木
オランダ人後に人に言ふには、喜右衛門申し候通りに、オランダ国にて作事致し候とき喜右衛門の気付くごとく、船底損じ作事のときは、おもかぢ作事の節は取りかぢへかたむけ作事し、取りかぢ作事の節はおもかぢへかたむけ作事することオランダ国のしきたり成り。喜右衛門智才おそろししと咄しけるとなり。
はや、オランダ人も、喜右衛門が浮かし方取り懸りしとき、オランダ船の綱3房450尋をかり、沈み船の船底へまわすとき、一人にてまわすよふに取り扱ひせしとき、この船喜右衛門の工夫にて浮き方相成るに相違なしと嬉しとかや。
修理作業場
修理作業場
すでに正月29日浮き初めし節、沈み船5尺ばかり根おこし相成り候節、御奉行朝比奈河内守様木鉢ケ浦へ御出浮き成られ候て、御樽肴仰せ付けられ候みぎり、御感悦御言葉、その方は村井喜右衛門であるがまさに智恵門と御意成され候より後は、オランダ人長崎人共、喜右衛門をいて、智恵門、智恵門と言ふ。
諸事喜右衛門の智恵鍛練工夫と言ふは、常に400石積みの船なれば1200石持ち、200石の船なれば600石持ち、樽1梃ならば3梃持ち工夫成ること妙なり。

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