2004.11.3guppy
標

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長崎游学の標

 青雲を胸に
 游学の旅人たちは
 日見峠をのぼりくだった

 近代文化の黎明が
 長崎街道を往来する
 若い瞳にかがやいていた

 唐 南蛮 紅毛
 古い歴史の石だたみの道に
 維新の夢をえがく
 長崎游学生の青春があった

        風木雲太郎

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長崎游学の標

 近世、長崎に留学した全国各藩からの若きエリートの数
は実に2000名を下るまいといわれている。
 彼らは幕末期一身をなげうって日本近代化の地の塩とな
った。ここに、彼らの名を永久にとどめ、その偉業を顕彰
し感謝をこめて「長崎游学の標」を建て、先賢一人一人の
名を掲げて、かつて彼らが、希望、よろこび、悲しみ、出
合い、別れに胸を燃やしたこの地に永久の「標(しるべ)」
として遺すことにした。
 このモニュメントは、1990年、長崎「旅」博覧会“長崎
ストーリー館・出島”に展示されたものです。

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 以上の喜右衛門情報・画像は関東の用賀にお住まいのグッピーさんからいただきました。ありがとうございます。
 銘板にしるされたように、幕末の長崎留学生を顕彰したものですが、輝かしい偉業のもと、一部選考委員の強い推薦があって、特別に村井喜右衛門が加えられました。


村井喜右衛門