2001年05月30日the daily new shunan ●下松●
泉さんはスペイン生まれで、1968年(S43)に日本に帰化したが、スペイン名はルイス・フォンティス・マーギーネス。ザビエルの子孫であることは6年前まで全く知らなかったという。 もともと建築家にあこがれていたが、進路に迷っていた16歳のとき、山口に戦前滞在したドメンサイン神父の日本滞在記「ハポン」を読んで日本に強くひかれ、とくにその中にあったザビエルの書簡に魅せられた。 ザビエルが「日本人は非常に豊かな才能があり、知性に富み、鋭敏な国民」と書き、日本で学校を作って人材を育てる夢を描いていたことを知った泉さんは「日本に行きたい」と思うようになった。 本でドメンサイン神父が「山口に教会を作りたい」と募金を呼びかけていたため、浄財集めに奔走したこともある。 しかし、日本はまだまだ遠い国で、留学する方法もなかったため建築家の夢をあきらめ、毎年、日本に宣教師を派遣していたイエズス会に入った。9年待って25歳のとき、アメリカでの長期研修を経て船で来日し、37歳で帰化したが、名字の“泉”は日本帰化の先輩、小泉八雲にちなみ、名前はルイスの当て字でつけた。 日本では東京や福岡、広島などの教会に勤めたが、ザビエルが志した人材育成に貢献しようと各地の大学や高校でスペイン語を教え、信徒以外は教会で挙式することは許されなかった37年前、親しい若いカップルの願いを聞き入れるため、大司教を説得して実現させたこともある。 8年前にザビエルにゆかりの深い山口県での勤務が決まって下松に移り住み、ボランティア団体「東西文化センター」を設立。日本の若者を海外にホームステイさせるなど若者の国際交流を進め、ザ・モール周南の星プラザ教室でスペイン語講師も務めている。 6年前、スペインに帰郷したとき、家系を調査していた兄の調べで、ザビエルの兄、ミゲルの直系の子孫であることがわかった。これを知ったスペイン語の生徒が応募して「笑っていいとも!」に出演したあと、これらのエピソードが光文社の週刊誌「女性自身」の「新シリーズ人間」で7ページにわたって紹介されたのに対して全国から感想が寄せられ、同社で単行本出版が決まった。 現在は打ち合わせのため高速バスで下松と東京を行き来する毎日だが、泉さんは「ザビエルの子孫であるとは知らずに日本に魅せられ、山口で活動していたことも450年の時を超えて不思議に感じる。本が出たらたくさんの人に読んでほしい」と話している。 |