1915(大正4).1.1子供之友
新春口絵

紀伊國屋文左衛門蜜柑船
紀伊国屋
 今から二百年ほど前、ある年の暮れに、あらしが續いて、紀伊の國では、たくさんたくさん出來た蜜柑を、どこへも送ることが出來ませんでした。
 紀伊國屋文左衛門は、大膽な舩乘を集めて、帆前舩に山のやうに蜜柑を積んで思ひきつて、大浪の中に乘り出しました。
 そのうち浪も静になったので勇みに勇んで江戸につくと、ちやうど江戸には、蜜柑が一つもなくなつて困つてゐたので、またゝく間に賣れてしまつて、舩には小判があふれ出るほどになりました。
  沖の暗いのに白帆が見える
    あれは紀の國みかん舩
といふ歌はその時に出來たのです。


<クリック>きえもんの大叔父村井要(早世)の遺品、大正14年1月号子供之友(婦人之友社発行)

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