1998年kygkyikiinki香焼
堀池神社
笠戸屋徳左衛門奉献堀池神社鳥居
町指定史跡 堀池神社鳥居
指定年月日 平成8年5月23日
所有者 堀池神社世話人会

この鳥居は、享和元年(1801)8月16日に笠戸屋徳左衛門の寄進によって建立されたもので、その石材は“徳山御影”と呼ばれる花崗岩と推定されている。
笠戸屋徳左衛門は、防州櫛ヶ浜(現在の山口県徳山市)の人であるが、笠戸屋の屋号としては、他にも唐の船墓地に笠戸屋徳兵衛、栗ノ浦墓地に笠戸屋久兵衛の墓石が残されていて、いずれもその石材は徳山御影と推定 されている。
当時は、寛政11年(1799)オランダ船を引上げた村井喜右衛門をはじめ多くの防州出身者が香焼とその周辺で盛んに漁業を行っていた。
このように、この鳥居は、香焼と徳山とのかっての交流の様子を物語るものとして貴重である。

香焼町教育委員会
平成10年分村100周年記念事業


堀池神社
笠戸屋徳左衛門奉献堀池神社鳥居
堀池神社
笠戸屋徳左衛門奉献堀池神社鳥居
堀池神社
笠戸屋徳左衛門奉献堀池神社鳥居

徳兵衛
唐ノ船墓地の笠戸屋徳兵衛墓石
香焼町の村井喜右衛門

1798年10月17日、オランダ船エリザ号が長崎港入り口の神の島付近で座礁し沈没した。エリザ号のスチュアート船長の依頼で幕府は何度も引き上げを試みたが、ことごとく失敗に終わった。
香焼村、栗の浦に仮屋を構える村井喜右衛門が無償で引き上げを申し出、式見など近隣の漁師たちに呼びかけ、150艘もの小船と、柱を海中に立て滑車をつかって、潮の干満と風を利用して引き上げに成功した。エリザ号は無事修理を終わって出帆することができた。
このことで村井喜右衛門は長崎奉行から銀30枚、幕府から表彰状をもらい、毛利藩から名字帯刀を許された。
香焼には弟亀次郎の墓が浦上墓地に、もう一人の弟、音右衛門の墓が深堀町円城寺墓地にある。
香焼の栗の浦地区は今では10数軒の小さな集落であるが、当時はイワシ漁を中心とした漁業で、香焼で一番にぎわっていたらしい。喜右衛門は防州(山口県)出身の鰯廻船業者であるが、当時香焼周辺には防州出身の漁業関係者があちこちにいたとされ、各地の神社に鳥居の寄進などが行われている。
堀池神社の鳥居の材料は防州から運ばれた花崗岩で、防州から来るときは花崗岩を持ってきて、帰りは肥料用にイワシを加工して大阪や兵庫に持っていくという商いを行った。また、イワシは香焼の当時の重要なタンパク源で食料といえば「イモとイワシ」であった。

年代順に主な事物を並べた

1779(安永8己亥)年頃 防州都濃郡櫛ケ浜村の村井喜右衛門等、肥前領香焼島に鰯漁業指導に来島する。

1787(天明7丁未)年 里の唐ノ船墓地に「防州都濃郡櫛濱人事笠戸屋徳兵衛墓・積功軒徳峯有隣信士。天明7未2月14日」と刻銘のある花崗岩製の大型の墓碑がある。

櫛地蔵
寛政3亥 4月と刻された、櫛ケ濱の人を弔う地蔵様
1791(寛政3辛亥)年4月 栗ノ浦墓地に防州櫛ケ濱住人の最も古い、花崗岩製、御地蔵様造りの墓碑がある。碑銘「寛政3亥 4月」。
お地蔵様のおつげ
「故郷恋しやわがふるさとの、芝の折りえも懐かしや」この句は、栗ノ浦に鎮座される珍しい形をした花崗岩製(徳山御影)の立派なお地蔵様が、夜な夜な枕元に現われて述べられたと伝えられている。当時防州都濃郡櫛ケ濱から香焼の栗ノ浦に、村井喜右衛門などと共に漁業に来ていた人が異国の露と消えられ、望郷の念を切々とよまれた句ではないかと考えられている。

1796(寛政8丙辰)年9月29日 長崎市深堀町円城寺墓地に超大型墓石「瑞雲院蛍嚴浄光居士 防州櫛濱住 村井音右衛門信道墓 寛政8丙辰9月29日」がある。村井喜右衛門の弟、「智、10人に優れ、商事利口なり」と讃えられた。享年29歳、未婚。

灯籠
村井喜右衛門・亀次郎寄進深堀神社石灯籠
1798(寛政10戊午)年 防州櫛濱 村井 喜右衛門 亀治郎 深堀神社に石灯籠一対寄進する。

1978(寛政10戊午)年10月17日オランダの傭船エリザ号がにわかの暴風雨のため座礁浸水する。

1799(寛政11己未)年2月3日村井喜右衛門・亀次郎、エリザ号を引き揚げる。

1801(享和元庚酉)年8月16日 防州櫛ケ浜笠戸屋徳左衛門 奉寄進の銘のある堀池神社鳥居がある。

1802(享和2壬戌)年3月5日 栗ノ浦墓地に防州櫛濱ノ住人 笠戸屋久兵衛の墓碑がある。

1804(文化元甲子)年8月4日 村井喜右衛門歿 享年53歳。功海院悟山心承居士。

灯籠
村井亀次郎寄進岩崎鼻石灯籠の一部
1830(文政13庚寅)年 村井亀次郎 香焼港口田ノ浦岩崎鼻に石灯籠1基寄進する。碑文「文政13庚寅春奉寄進 村井亀治郎」。これは河童がこの地に住み、通る舟や人にいたずらをするというので、村井亀次郎はここに石燈籠を建て、弘法大師に奉納し災厄退除を祈願したので、無事なるを得たと伝えられている。岩崎鼻は海岸線の埋立てにより昔の鋭く突き出た姿はないが、石燈籠の一部は保存されている。また寄進時期は不明だが同様の石燈籠の一部が岩立神社に現存している。

1835(天保6乙未)年7月13日 村井亀次郎歿 77歳。香焼町浦上墓地に墓石あり。碑文「徳勝軒徹心如堅居士 天保6未年7月13日 俗名村井亀次郎」。


灯籠
村井亀次郎寄進岩立神社石灯籠の一部
墓碑
円城寺にある、村井喜右衛門弟、音右衛門の墓碑

村井喜右衛門