2002.06.19(水曜日)the daily new shunan
村井喜右衛門の
功績を紙芝居に

● 徳山 ●  華雲塾が地元で披露

披露
紙芝居を上演する三宅さんと村井さん(左)
 徳山市櫛ケ浜の地域活性化グループ華雲塾(青木義雄塾長)が地元が生んだ村井喜右衛門の功績を描いた子供向けの紙芝居を完成させ、15日、櫛浜コミュニティセンターで初披露した。
 長崎県香焼町を根拠地に鰯廻船業者として活躍した村井喜右衛門は寛政10年(1798)秋、長崎湾口で嵐のため沈没し、だれも引き揚げることができなかったオランダ船、エリザ号を独自の工夫と手勢を率いて引き揚げを成功させ、世界に名を知られた。香焼町では喜右衛門の活躍を賛え、紙芝居や人形劇、絵本にして今も語り継がれている。
 今回の紙芝居は香焼町の紙芝居を知った青木さんが櫛ケ浜でも作ろうと喜右衛門の子孫にあたる櫛ケ浜中町の画家、村井周作さんに協力を依頼した。


23枚でオランダ船引き揚げも

仕掛け
引き揚げの様子を描いた一場面
 完成した紙芝居は題名が「オランダのふねをひきあげたきゑもんさんのおはなし」で23枚。子どもにわかりやすいように現在の櫛ケ浜の風景から始まり、250年前に喜右衛門がこの地に生まれたことから、長崎で手広く商いをしているうちにエリザ号の事故が起き、長崎奉行所に申し出て大規模な工法で船を見事引き揚げ、オランダからは感謝され、奉行所から褒美と帯刀が許された話をつづっている。
 披露会では地元の人や郷土史家が集り、三宅阿子さんの語りで紙芝居に見入った。華雲塾はこの紙芝居を10組作り、小学校などに贈る。青木さんは「まず地元の人に喜右衛門さんのことを知ってもらい、長く語り継がれるようにしたい」と完成を喜んでいた。


2002.06.17(月曜日)tyugoku山口
徳山出身の村井喜右衛門
長崎で沈没オランダ船引き揚げ

廻船業者の偉業紙芝居に

 江戸時代に長崎でオランダの沈没船を引き揚げた徳山出身の、村井喜右衛門を広く知ってもらおうと、徳山市櫛ケ浜の地域活性化グループ「華雲塾」(青木義雄塾長、15人)が業績を紹介する紙芝居を作った。お披露目は15日夜、櫛浜コミュニティ−センターであり、地元郷土史会や子ども育成連絡協議会のメンバーら約30人が観賞した。
披露
村井さん(左)が描いた紙芝居を、三宅さんが朗読した披露会
住民グループ完成披露
10部印刷寄贈へ

 喜右衛門は1752年、櫛ケ浜村(現在の徳山市櫛ケ浜)に生まれた鰯廻船業者。イワシ漁の指導で長崎に通った。1798年10月沈没したオランダ船の引き揚げを、翌年始め住民600人を率いて開始。木のやぐら組みや滑車を利用するなど当時としては珍しい装置を作って、成功した。功績は中国、西洋にも書物で紹介された。
 紙芝居は、23枚の絵で構成。喜右衛門の子孫で、櫛ケ浜在住の村井周作さん(73)が彩色した南画で描いた。子どもでも楽しめるよう、ほのぼのした雰囲気を出し、喜右衛門の生涯を振り返っている。お披露目では、物語を考えた近くの主婦、三宅阿子さん(61)が朗読した。
 沈没船引き揚げの舞台になった長崎県香焼町では今も、紙芝居を演じたり、中学生が人形劇をしたりと、喜右衛門がよく知られているという。徳山市の子どもたちにも広め業績を伝えようと、青木塾長が村井さんに制作を依頼した。
 紙芝居を見た青木塾長は「子どもにも分かりやすい内容。絵も楽しい」と満足していた。紙芝居は10部印刷し、幼稚園や小学校に寄贈する。


2002.06.15kiemon
村井喜右衛門紙芝居披露会
櫛浜コミュニティセンターで

周作さん
絵を描かれた村井周作さん

演者
演じる三宅阿子さん


2002.06.15(土曜日)asa山口
村井喜右衛門の物語
紙芝居で子孫ら再現

徳山市のグループ きょう完成披露会

 徳山市櫛ケ浜の地域活性化グループ「華雲塾」(青木義雄塾長)が、江戸時代にオランダの沈没船を引き揚げた郷土の偉人、村井喜右衛門の紙芝居を作った。全23枚で、喜右衛門の子孫である村井周作さん(73・櫛ケ浜中町)が絵を描いた。15日午後7時から、櫛ケ浜コミュニティーセンターで完成披露会を開く。
紙芝居  市立中央図書館の資料によると、喜右衛門は1752年、櫛ケ浜村で生まれた。鰯回船業者として活躍していたが、仕事で長崎に来た1798年、近くで沈没したエリザ号の引き揚げに協力。翌年、見事に成功し、その名を世界にとどろかせた。
 長崎県香焼町に喜右衛門の功績をたたえる紙芝居があることを知った青木さん(38)らが、櫛ケ浜でも作ろうと計画。公民館で絵を教えている周作さんに協力を依頼した。「子どもに分かりやすい絵にしようと思った」(周作さん)と話す通り、彩り豊かで、ほのぼのとしたタッチの絵が並ぶ。物語は周作さんの妻、緑さん(65)と近所の三宅阿子さん(61)が考えた。
 青木さんは「いい紙芝居ができて満足。まずは地域の人に喜右衛門の存在を知ってもらい、歴史的な評価を高めていきたい」と話した。紙芝居は10部作り、小学校などに寄贈する予定という。


村井喜右衛門