2004/03/22yol山口
先祖の偉業 HPでPR
日本サルベージ業の草分け
村井喜右衛門の生誕地
徳山湾と笠戸湾に面した周南市櫛浜(くしがはま)地区。江戸時代、ここから海へと乗り出して活躍したのが、 日本のサルベージ業の草分けと言われる村井喜右衛門(1752―1804年)。海産物の商いで財をなし、1799年、長崎沖に沈んだオランダ船を、知恵や財力を駆使して引き揚げた。
JR櫛ヶ浜駅の南。旧国道188号線から旧本通りへ入ると、蔵元や商店などの古い家並みが続く。喜右衛門の生誕地は、そんな通りにあった。
「喜右衛門の生誕地はこの辺り」と話す村井さん
「だいたい、ここら辺りです」。近くに住む村井洋一さん(56)が立ち止まって指さしたのは、薬局と銀行の敷地の境目。面影はない。
「オランダ船引き揚げの功績で、喜右衛門は萩の毛利本藩から、武士に取り立てられたんです」。武士になった喜右衛門は、生家から武家屋敷が並ぶ一角へ移り住んだのだった。
喜右衛門の生誕地から少し戻ると、櫛ヶ浜神社の白い鳥居が見える。その一方の柱に「村井市左衛門」の名が刻まれている。 市左衛門は、村井さんの先祖で、喜右衛門の弟の養子だった。「喜右衛門らが残した財産の大きさを感じます」と村井さん。
村井さんは、喜右衛門に関する研究成果を
ホームページ
に掲載し、PRに努めている。
喜右衛門の生誕地から南へ200mほど進み、海の方に折れると、目印のトラフグが描かれたのれんを見つけた。周南の海の幸を卸している青木フグ商店だ。
トラフグの様子を確かめる青木さん
二代目社長、青木幸喜さん(42)の案内で、笠戸湾沿いの施設を訪れた。スレートぶきの建物の中には、大小10基のいけすが並ぶ。 魚市場から仕入れたトラフグを、出荷までの間、休ませている。
中をのぞくと、いるいる。体長30―40cm。ずんぐりとした独特の体形。小さいひれを動かしながら、浮いたり潜ったり。元気に泳ぎ回っている。
「愛きょうがあってかわいいでしょ。でも、結局は食べてしまうんですがね」。青木さんは複雑な表情で笑った。
シーズンも終わりが近いとあって、今は500匹ぐらい。ピークの12月には、3千匹がひしめくという。ここから、首都圏や関西、下関などへも出荷する。
同社は1962年、別のフグ卸業者で働いていた先代社長の義彦さん(69)が独立して開いた。不況とフグの減少もあって老舗が次々と店をたたみ、今では周南のフグ卸で最も古くなった。
周南はフグはえ縄漁の発祥の地。だからこそ、青木さんは「周南のフグを、県外にもどんどん売り込んでいきたい」と張り切る。
フグ調理師でもある青木さんの下ろしたトラフグ。想像しただけでも、のどが鳴る。今度の冬にはぜひ味わってみたいと思った。
おわり
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