明治37年4月3日博文館発行 日露戦争実記第6編 遣韓大使伊藤博文侯(丸木利陽氏撮影) 3月13日東京出発17日仁川に到着し18日韓国皇帝に謁見し爾来 数回勅問に答へて改善の政策を述べ韓国朝野の信頼極めて深し |
伊藤博文書偏額「和気致祥」 |
偏額裏書 紀念 一表額面 正二位大勲位 候(ママ)爵 伊藤春畝博文君筆 右は明治三十四年丑七月政友會山口縣 支部山口立小路におゐて発開式設催 に依り伊藤候(ママ)臨席相成湯田松田楼に 御止宿の際吉富簡一取次にて揮毫 相成事 <参考>吉富簡一 山口矢原の庄屋の生まれ、 初代山口県会議長(明治12年3月22日〜明治23年7月3日までの 11年5ヶ月)、防長新聞創立、政友会を支援した。 偏額をもらったのは都濃郡太華村櫛ケ浜 村井市郎 |
伊藤公の書「和気致祥」を光市に 櫛ケ浜のきえもんさんが贈る 補修して伊藤公記念館で展示 |
伊藤公の額を見るきえもんさん(左)と末岡市長 |
修復された「和気致祥」 |
光市で「七人の宰相」展 |
県出身の総理大臣7人の書、一堂に 光の伊藤公資料館、来月9日まで 「8人目」手配は着々 |
伊藤公資料館、10月9日まで、「七人の宰相」特別展 市民10人が13点を出品 |