櫛ケ浜波止場

櫛ケ浜波止場
櫛ケ浜波止場2012.8.17

櫛ケ浜海岸は白砂の遠浅で漁船を繋ぐ所も施設もなく、漁民が大変難儀していたが、波止場構築世話人、村井七之助、山本勉造、児玉恒吉の尽力によって、明治39年竣工。以来漁船の安全な船着場として櫛ケ浜漁業の発展に貢献している。尚工事費は当時二万円であり、起工より完成まで七ケ年を要した。


櫛ヶ浜漁港1991年10月頃きえもん長男描く

櫛ケ浜港
1982年2月11日の櫛ケ浜波止場



2012.8.17の櫛ケ浜波止場

魚市場の変遷
元禄年間(1688〜1703)に櫛ケ浜の中野佐兵衛が魚市場を始めた。
漸次業務を広め、文政七年(1824)に至り、
山本幸右衛門、浜田七右衛門、村井亀次郎等が
運上銀(税金)を納めて、交代で経営した。

2012.8.17の櫛ケ浜波止場
文政元年(1818)の頃、この地方には、室積、下松、櫛ケ浜、福川、富海の各浦があった。
櫛ケ浜浦は徳山沖から仙島までをほぼ漁区としていたが、多年の習慣を重視しそれ程厳密な区割りはなく、任意に操業していた。
のち、文久三年(1863)領主宍戸家の御手元市場となり明治まで続いた。
その後次のような移り変わりを経て現在(1987年)の櫛ケ浜漁業協同組合に引き継がれた。
明治二年十一月 櫛ケ浜魚市場の経営を村井金作に委託する。
明治六年 八月 村井金作、都濃郡七ケ浦魚市場見ケ締役となる
明治八年    野村栄之輔、魚市場を字浜中に開設する。
明治十二年六月 野村栄之輔、魚市場を浜田耕作に譲る。
明治十二年七月 魚市場を磯町に移転する。
明治十二年七月 村井金作経営の魚市場を磯町の海辺に移転する。
明治十二年八月 岸田国助東磯町に新魚市場を創設する。
明治十八年四月 栗屋村温品為造、二葉屋開作の自宅に魚市場を開業する。
明治十九年一月 磯町の村井金作、磯町の浜田耕作、東磯町の岸田勝之助、二葉屋開作の温品為造等、魚市場の沿革について県に報告書を出す。
明治二十六年  村井金作、浜田耕作、岸田勝之助、温品為造、共同事業者となる。
明治三十八年  太華村営事業となり、字浦町で営業する。
大正十三年七月 櫛ケ浜、大島、粭の三漁業組合共同経営となる。

2012.8.17の櫛ケ浜波止場

櫛ケ浜漁業協同組合の成り立ち
昭和十八年三月、水産業団体法制定によって各市町村、
一漁業会となり、「徳山市漁業会」が設立された。
更に昭和二十四年水産協同組合法の施行に伴い、
「徳山市漁業会」を解散し各地区に漁業協同組合が設立された。
櫛ケ浜漁業協同組合   昭和二十四年九月 設立登記。
櫛ケ浜中央漁業協同組合 昭和二十四年九月 設立登記。
その後両組合話し合いの結果、昭和三十六年六月両組合合併し、
「新櫛ケ浜漁業協同組合」が発足した。

2012.8.17の櫛ケ浜波止場

昭和三十八年八月、沿岸漁業協同組合合併促進要綱が制定され、
昭和四十年八月、徳山、新櫛ケ浜、戸田、大島、大津島の各漁協が合併し
「徳山市漁業協同組合」を設立し新櫛ケ浜漁業協同組合は櫛ケ浜支所となった。
昭和四十四年四月再び分離独立して、「櫛ケ浜漁業協同組合」として今日(1987年)にいたる。

2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17の櫛ケ浜波止場


2012.8.17櫛ケ浜波止場から太崋山を望む


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