1958年喜右衛門展
昭和33年(1958)秋、徳山市立中央図書館は読書週間の行事として“和蘭沈没船引揚げ者、村井喜右衛門展”を開催し、その結実として、昭和34年3月15日「蛮喜和合楽」を復刻刊行した。
以下は同展で配られたパンフレットです。
村井喜右衛門の事蹟について
村井喜右衛門は山口県徳山市櫛ケ浜の人で、文化元年(1804)53才で没つた。回船業を生業としていた。
寛政10年(1798)10月、オランダの商船(実はアメリカ船、6000石積船)が、長崎港外で暴風雨にあい、暗礁に触れて沈没する事件があつた。90人余の人と上積みの荷物は、辛うじて助け移すことができたが、下積みの荷物は、船体もろ共海底に没して了つた。時の長崎奉行は、懸賞金附きで船体を引揚げる者を募つたが、応じた者は皆失敗して成功する者がなかつた。
長崎にイワシの漁場を持つていた喜右衛門は、偶々長崎に在つてこのことを知り、直ちに応募し、工夫と才覚を凝らし、潮の干満の差と浮力及び風力をつかつて、前後34日かかつて、物の見事に積荷もろ共船体を引揚げて、オランダ人が指定する場所まで船を移動させることに成功した。それは、寛政11年(1799)2月19日のことである。
そこで、長崎奉行は、その功を称えて喜右衛門に、銀30枚を下さり、時の老中松平伊豆守からは、感状及び日ノ丸の船旗をいただいた。また、オランダ人は、当時は貴重であつた砂糖100斤入25箱を、礼として贈つている。
このことにより、村井喜右衛門の名は、日本国内は勿論、遠くヨ−ロツパまで知れわたつて、多くの書物に書き残されることになつた。
このたびの出品資料は、村井喜右衛門ゆかりの櫛ケ浜村井栄治、村井醇郎両家伝来のものである。
出品目録
○村井喜右衛門下附書附
○蛮喜和合楽
○肥前長崎於木鉢ケ浦紅毛沈船浮方一条花岡御勘場より御尋ねに付申上控 寛政11年
○「米国艦隊極東記事」並びに「日本回顧録」抜萃訳文
○一宵話 文化7年
○理斎随筆 天保8年
○村井喜右衛門画像
○長崎古図
○蛮喜鍜煉書
○長崎表木鉢ケ浦紅毛沈船浮方一件 寛政11年
○村井鍜煉書
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