蛮喜鍛煉書3
オランダ沈船浮船免許出づ
喜右衛門漁場 |
右覚え書き差し出し置き候ところ、当未の正月4日御用御座候に付き、大通詞加福安次郎方に罷り出候様申し参り候に付き罷り出候ところ、同役今村才右衛門右両人より浮かし方の一儀御頼み成られに付き、先達てにも申し上げ候通り、鈴木様より御頼み成られたきに付き、右両人同道にて鈴木七十郎殿方参り候ところ、直々仰せ付けられ候は、その方願ひの通り、上より御免相成り候間御受け申すべしとの御こと。
右通詞2人喜右衛門同道罷り帰り、いよいよその支度に取り懸り、又正月11日四ツ時、御手番高嶋作兵衛殿御屋敷より御用に付き御呼び出し相成る。
大通詞石橋助左衛門・今村才右衛門同道にて高嶋殿宅へ罷り出候ところ、御年寄2人と仰せられ候は、この度浮かし方の雑費その外諸道具仕構へこれあり候やと尋ねられ候に付き、喜右衛門申し候は、先達て申し上げ候通り雑費入りのところは何程懸り候ても御上へ御奉公仕るべく覚悟に御座候。もっとも諸雑用途をたって御尋ねに付き、荒増し申し上げ置き候。
蛮人通話 |
私抱への内400石積み18反帆1艘・200石積み13反帆1艘・5、60石より40石までの小船7、80艘、私抱へ人数常に300余人これあり。家内子供懸りには5、600人も御座候。諸道具等も私抱への内にこれあり候。雑費入銀およそ5、600両と考へ居り候と申し上げ候。その座皆々同道にて罷り帰り候こと。
一、正月14日御呼び出しに付き、長崎表通詞会所へ罷り出候。大通詞同道にて御屋舗へ罷り出、御取次をもって仰せ渡せられの趣は、このたびオランダ船浮かし方の儀御屋舗より御直々御免仰せ付けられ候間御受け申すべき旨仰せ渡せられに付き、御受け申し候こと。
それより網方支配人中へ触れ廻す。人々の名前次の通り。
肥前領土井頭池田茂十郎手下網子50人・同勘兵衛手下網子50人・同武兵衛、文右衛門手下50人・柳の庄二郎手下50人。
大村領大浦清蔵、源太郎手下50人・同助五郎、戸町松右衛門、同吉五郎、留五郎、同七太郎手下50人・同手熊の沢右衛門、弐見久米吉、三江清右衛門3人の手下に120人その外支配船頭まで、喜三次・鶴二郎・由二郎まで頭分20人。
相触れければ早速はせ集まり、その手くばり致し懸り。
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浮き船免許状 |
一、同15日浮かし方御免の御手形頂戴仕り候。
御書言云次の通り。
長崎奉行
手頭
このたび沖オランダ沈み船浮かし方の儀、
防州船頭村井喜右衛門へ相対をもって相頼みたき旨、
諸役人又オランダ人よりも申し出候に付き、願ひの通り御聞き届け相成る。
ただし浮かし方取り懸り中御用小指し御灯燈相用ひ候儀は差し免じ候こと。
未正月
右の通り仰せ付けられ、御直々よりも御申し渡し相成り候こと。
未正月15日
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