愛知県犬山市再訪

2006.2.27鳳陽朝食濃い8:25発豊橋へ、乗車券を2重に買ってしまい、手数料を払って清算す。
豊橋から名古屋へ、名古屋から名鉄で犬山へ、ここで列車を乗り間違え、犬山着昼前になってしまった。
犬山城下の古道具店「ギャラリー昌永」で皿を購入する。

画像左の皿は、店前の赤い盆にあったもので、客寄せの格安のものである。 画像右は、染付松鶴画鉄鉢小猪口10個揃い、とあって、それなりの値段でした。 ご主人に「近所でこのわたができるから、ちょうどいい」とよけいなことを言ってしまったが、実際は静岡の田丸屋のわさび漬かもしれない。

2006.2.27正午ごろ 360年の伝統を誇る犬山祭りで繰り出される 13輛の内の1つ魚屋町真先山車を納める倉庫。

なつかし屋

雑貨喫茶「なつかし屋」へ入る。おなかがすいてなかったので、コーヒーだけいただく。
何らかの事情で、弁当を食べられた方も、我々のコーヒーも半額にしていただき、魂消る。また来店してほしいというキャンペーンだと理解する。
画像下は店内にあった竹作品。竹活用の参考に。
竹腹に開けた穴に、笹飾りとか、ぶら下げ物をつるした枝を差すと良いと思う。

米清旧宅

米清旧宅土蔵

本町、咸英、車山蔵
魚屋町のときは山車と書いてあったが、ここでは車山と書いてある。
帰りに通ると修理のための足場が組んであった。

からくり館(車山のからくりを展示してある)入口の蹄鉄を埋め込んだプロムナード。

からくり館入口の、お茶運びからくり人形の看板。

国宝犬山城

犬山城天守閣。
犬山城の歴史。
犬山城は天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ケ原の合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

大杉様と凌霄花。
大杉様 樹齢650年 高さ26m
犬山城築城頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風のときは風よけにもなったりして城を守る御神木としてあがめられてきました。
しかし1965年頃枯れてしまいました。
凌霄花(のうぜんかずら) 開花6月下旬。

石落としの間。
この位置は西北の隅にあたり、石落しの間といいます。石を落して侵入者を防ぐ間で石垣より外に突出しているのが特徴です。
広さ7.17平方m(4畳余り)。

付櫓。
明治24年の濃尾震災で壊れたという南東隅の付櫓(15.22平方m)。昭和36年からの解体修復工事で復元される。  

明治維新頃犬山城図。

犬山城は別名「白帝城」という。江戸時代の儒者荻生徂徠が李白の詩からとって命名したと伝えられる。
李白の詩にいう白帝城は長江の上流四川省の山地にある。
早に白帝城を発す [唐]李白
朝に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還る
両岸の猿声啼き住まざるに
軽舟已に過ぐ万重の山

城内の階段。

御嶽山。天守閣最上段からの眺め。雪を冠しているのが御嶽山。

天守閣最上段からの眺め2。伊木山とライン大橋。

城内の窓

城内の階段2

犬山城好姿