明治13年8月16日 月曜日 第2261号
郵便報知新聞
記事 秋斎閑語抄了
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秋斎閑語抄了
寛政10戊午10月阿蘭陀の帰船長崎沖にて難風にあい高鉾というところに沈没せしを防州都濃郡串浜村の漁業人村井喜右衛門なる人の工夫にてその船を無難に引き揚げたることは人口に膾炙するところなり(その船には銅30万斤を積みしという志賀理斎が崎陽帰路日記に詳しく記しあり)
各港お開きにならざりし以前はただ長崎の一地のみをもって外国交易の盛区と称すればその頃かの地へ役筋のものは皆商売の心になりて廉潔をもって自らも許し人も称する者にてもたいてい利をはかるように移るは浅ましきことなりしかば南畝が(太田覃)崎陽におもむく人を送る詩に
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人道崎陽百貨多能令豪気日消磨貪泉不変夷斉志蜀錦呉綾奈爾何
能く呉隠之か意を得たりというべし
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