影向の井戸は 原江寺の山門前にある。 天文の頃(1532〜1554)観音像の出た井戸で、霊験あらたかな多くの逸話が伝えられている。このいきさつは門前の戒壇石(不許葷酒入山門と刻まれた石柱の側面)に、碑文として刻まれている。 不許葷酒入山門と刻まれた石柱 原江寺山門戒壇石碑文 此碑傍之井古出観世音像乃庵之主仏也而来婦人患乳者浚井乃有妙験市左衛門芳栄者費貨浚井有年漸為清水近村無比遂汲此井以醸酒醇美亦無比今茲天保二年八月酒家起願遷此碑干庵中報謝観世音之霊恩庵曰吸江曰洞庭庵主曰願禎銘曰乳乎此癒酒乎此美酒寿人兮乳養人兮皆観世音之所祉 天保二辛八月 施主 村井市左衛門芳栄 現海潮道輝謹誌 民話 影向水の井戸 今から500年くらい前の天文年代のことです。現在の原江寺のところに吸江庵という小さな庵がありました。その庵に了西という和尚さんが一人で住んでいました。 ある夜のこと、了西和尚の夢枕に雲に乗った観音さまがあらわれました。 「これ、了西よ。我はこの庵の井戸の底に久しく埋もれておる。すぐに井戸の底をさらえて、我をこの庵に安置せよ。さすれば、今後多くの人々を守って行こう」 「ああ夢じゃったか。不思議な夢を見たもんじゃ。まあ格別のことはないじゃろう」 と了西は気にも止めず、そのまま放っておいたのです。 ところが次の日、また同じ夢を見ました。 「2日も同じ夢を見るとは、本当かも知れんのう」 そういって、すぐに井戸の底をさらえました。すると驚くことに夢で見た通り観音像が出て来ました。 「ありがたいことじゃ」 了西はさっそく観音像を庵に安置して、大切におまつりし、その井戸水を影向水と呼ぶようになりました。 それからというもの、乳の出の良くない女の人がこの井戸水を飲むとすぐ乳が張ってきて、乳がどんどん出るようになりました。 また、酒造りにこの井戸の水を使うと、このあたりでは飲んだこともない、おいしい酒が出来て、おかげで酒屋は大繁盛しました。 のちに吸江庵と原始院が合併して、今日の原江寺になりました。影向水の井戸は今も原江寺の山門の前にあります。 |